10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月24日

カメキチは変わらず。2回目の輸血でヘモグロビンが1しかあがっていないと落胆している。

 

看護師に、急にあがったら、身体がビックリするよと言われる。

 

輸血は1分に80滴。脈のリズムで3時間。ぐったり動けない。でも動けないのは倦怠感ではなくて、痛みのせいなんだと怒っている。明らかにQOLが悪化していると怒る。

 

H先生に言うと、「コンチンやる?昔のようい怖くはないよ」と言われる。S先生も「やる?」って。

 

「優柔不断でスミマセン、もう少し様子を見させてください」とカメキチお得意の台詞。

 

おいおい。輸血だって、5.8まで下がってからやるとなると、入れてもなかなかあがらないでいるじゃない。様子を見る様子を見るとやるのに、どんな意味があるの?

 

ネットの先生の回答を検討する。でも、カメキチは金曜日のタキソール3投目はやるという。わたしが「効かないなら途中でやめたほうがいい」と言うと、切れる。「オレをむかつかせるなよー」

 

A病院の先生だって、きっちり2クールやってこいと言ったのに、とか。S先生もうちでやることはきっちりやってA病院に渡します、と話しているじゃないかと。ただ、その後は、うちは外科医が片手間にやっているので、ちゃんとした抗がん剤のプロにやってもらったほうがいいともいわれる。

 

B病院は来週退院かな。B病院も2クールで効果測定すると。ネットの先生のセカンドオピニオンの予約がとれるとよいが。今後の治療、病院の選択、アドバイスほしい。