10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月25日

母が抗がん剤の日。

 

白血球が3000で、8回目のFOLFOX。カメキチがいたA病院に母はかかっている。

 

SI先生に放射線治療の可能性についてきいてみると、逆ギレされて、最後は次の人のカルテを出してくる始末。今はアバスチンのこともあるし、動くのが得策とは思わないけれど、他の専門家の話を聞きたいだけなのに。

 

HS先生はアバスチンはまだ薬価が決まっていないので、あと1,2カ月はかかる。初回は入院するなど病院としての体制を整えているところ、とのこと。

 

オキサリプラチンがあとどのくらいいけるか。間に合ってほしい。

 

漢方を煎じ、カメキチがいるB病院へ。親戚がきていて、ちょうどすれ違った。

 

「あの占い、あの人はあんなこと言っちゃってよかったのかな」と先日の別の親戚がしてくれた占いのことを言う。強いことを言ってしまったのではと気になっていたという。

 

そうしたら「仏壇ほこりまみれとか墓参り行かないとか、くま子も同じようなことを思ったことがあったので、全部代弁してくれたように感じたとカメキチ君が言っていたよ」だって。オイオイ。

 

夜、別の親戚がくる。「じいちゃんががんになったとき、友達ががんが治る水を300万円で買わないかと言ってきた。故郷行きなり、納得しているならいいけれど」と言う。

 

占いはどうかと思うけれど、お墓参りと仏壇掃除は、300万円の水と同レベルで語るものでもないんじゃないかな。

 

同時期にA病院に入院していたいとこが退院して、手術が決まったと言う。「明日からでも仕事したいって張り切っているよ。カメキチも仕事をしたいだろう。仕事をがんばっていたもんな。でも身体を壊すと、仕事より健康が大切と思うだろう?」

 

「・・・・・」

 

何が言いたいんだろう。

 

カメキチは熱があると言っているのに、「暑いなあ、暑くないか」とか。カメキチが着替えているのに、気が利かない。