10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年3月4日(日):一日一日を大切に過ごすということがなんと難しいことか

母は、友達と食事会。

 

こちらは、昼にオット君両親が家に来た。

わたしがいないほうがしゃべりやすいこともあるかと思い、

スポーツクラブへ。

 

「3人じゃ、墓のことくらいしかしゃべることないだろう。

墓のことを言ったら、何ばかなことを言っているんだ」で終わったそうだ。

 

散歩や果物を買いに行こうと外出し、

おみやげケーキを10個。

 

「やり直せる年齢なんだから、とっとと籍を抜いて前の名前に戻ればいい、

今までのことはなかったことにすればいい」と言われた。

自分の人生がなかったことにされるという、悲しい思いがあるんだろうな。

 

本人が辛いのはわかっているけれど、わたしも不安定になる。

話せる人はいないし、やっぱり他人の不幸は蜜の味というのは

分かっているから。

 

気持ちもどっぷり沈む。

一日一日を大切に過ごすということがなんと難しいことか。

今は嵐の前の静けさということは分かっているけれど、

テレビを見てたりすると、

本当に大変な病気なのか、実感がなくなっちゃうんだ。

気分が重いのも、何か言われて拗ねているぐらいの

気持ちになっちゃうんだ。

 

どのくらい時間が残っているのかわからないのに、

こうして時間が無駄に過ぎちゃうのが申し訳ない。

 

私って何なんだろう。

病人とずっといるのは本当に辛い。

二人も病人なんて。

でも今ふつうに生活できているんだから、それを大切にするべきなんだ。

どんな日がくるんだろう。怖い。

 

夜、マッサージをしていたら、

同じ姿勢でいると痛いから止めると言った。

先生が胸膜に腫瘍が接しているから痛みが出てもおかしくないと言っていたし、と。

 

愕然とした。

ああ、助けて。

 

ネットでみかけた、副腎転移しても治ったという話。

副腎でとどまっていれば根治できる可能性が高いって。

どの病院でのことか、なんとなしに読み取れる。

その言葉に望みをかけて、この間の検査の結果、どうぞ朗報が届きますように。

こんままじゃ、あんまりだ。

 

オット君も母も、「痛い」と言う。

痛みは病気のことを現実感をもって思い出させる。

悔しいのと無念なのと、ああなんで病気なのという悔しさで

気分がどっと重くなる。

 

Fさんが、メールで「ご飯食べよう」と言ってきてくれた。

やさしいなぁ。ありがたい。

けれど、何も話したくないし、考えたくないから、

会うと言わなきゃいけない=考えなきゃならない。これが辛い。