10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年3月25日

朝、実家から電話。

車の話。偶然、ご縁を感じ、お彼岸中は嫌だから、来週に手続きすることに。 

庭には腐葉土を入れて、人参を作ったよと。

親戚からお見舞いを、「ツマ子の好きなものを買って」と預かったと。

とても浮かれたように喜んでくれている。

 

ちょっと反動が怖いが、そのくらい苦しい思いをさせてしまっていたんだね。

ごめんね。ありがとう。

 

今日は病院へは、Kちゃんがダンベルとチューブを持ってきてくれた。

軽いのがなかったみたいで、重たい。

オット君、無理っぽい。

お嬢さんがとてもかわいかったらしい。

 

つかれた…と言いつつ、今日は熱がさほど上がらず、気分がよいみたいだ。

お母ちゃんは早番で4:30起きだったから疲れた、早々に帰る。

1〜3階を散歩。

 

今日も肺と脇腹が痛いみたい。

行きは昨日ほど上がらない。

脈が少し落ち着いたんだって。

どういう意味があるんだろう。

早く手術してほしい。

 

ご飯は麺類選択で、うどんのようなソーメン。

生姜を入れたらおいしかた。

明日はネギを持って行こうか。わさび必要かな。

 

心が穏やかそうだった。

 

そうそう、お昼にコンサートがあり、聞きに行ったそうな。

最後はコンテパルティロもあったり、翼をくださいをみんなで歌ったり。

視覚障害の人とかでローマに勉強を兼ねて先日もいってきたとか。

プロの人みたい。聞きたかったな。

 

で、「いい歌詞の歌があって、泣いちゃったよ〜」というから、

翼をくださいなのかと思ったら、

「せんのか〜ぜ〜に」とかいうやつ、と。

 

なーんだ、といったら、「知っているの?」と驚いていた。

まったく!有名だよ!

 

病院Ⅱ電話、呼吸器外科、8人部屋。

2007年3月24日 手術の可能性を求めてセカンドオピニオン

朝、病院Ⅱに。

保険証は、本人がいないから不要で、自費になるとのこと。

 

そうしたら、ケータイに留守電のマークが出てきた。

身内だった。

昨日、お見舞いにいったが、オット君がぐったりしていたので

心配しています、だって。

心配してくれるのはありがたいが。なぁ・・・・・

 

さて、病院Ⅱに。

近所のスポーツクラブのメンバーのおばちゃんに会い、びっくり。

 

セカンドオピニオンは、口を開くなり、

「副腎転移で切除可能。15年以上生きている人もたくさんいます。

希望をもってください」だって。

 

義母、大泣き。感激した。

癒着、浸潤も、開かないと分からないでしょと。

入院手続きを取る。

治るかもしれない!!

 

義母と別れ、母に電話。

母も涙を流して喜んでくれた。

「自分のことでは泣かなかったのに、オット君のことで

何度泣いちゃったか…」と。

ちょうど、腐葉土を買い、庭に「オット君農園」をつくり、

人参を植えるところで、念じていたとか。

 

母は「ツマ子ちゃんエライ!本当にあなたはすごい」とメールをくれて、

そんな風に言ってもらえるなのて、とてもうれしかった。

父は47で亡くなっているが、

「ツマ子には、私と同じ思いはさせられない。

自分のときは涙が涸れていたのに、変だわ」と。

 

オット君のメールの第一声は、

「本当? いきなり?」

 

母に次いでオット君も病気になったのは、

私の「運」のせいかとさえ思い詰めるようになり、

先日予約した手相に。

 

手相は、最初、何もこちらから言わないとき

「パートナーとうまく長くやっていく」と言われ、ドキッとした。

「それで今日はどうしたの?」と。

そこでどっと涙が出た。

 

後家の相はどこにも出ていない、

結婚線はしっかりしているし、

パートナー線もしっかり延びている、

夫を失うなんて、どこにも書いていないって。

占いとはいえ、うれしくなる。

 

病院につくと、1階に義母が。

一緒に病室へ。

義母は「わたしには息子はあまり喜んだ顔を見せないから」と

ちょっといじけ気味。

 

病室に入ると、オット君は憮然としている。

抗がん剤でいこうと思っていたし、

先日、O先生に癒着、浸潤と言われていたから

おっかなくて納得がいかないようだ。

録音を聴かせていると、お父ちゃんがくる。

 

・開腹しないとわからないけれど、切れるかもしれない

・開腹してだめなら、閉じてまた抗がん剤をやればいい。切るだけなら怪我しただけ。

・5年生存率は2年かもしれないけれど、ここで聞いた6%に比べればとてもよい数字。

・15年以上生きている人も「たくさん」いる←ここをテープを聞き返して喜んでいた。

抗がん剤は次に受けても、副腎が炎症を起こしている限り、熱が出て衰弱する。

 副腎は切るべき。

 

やる気になってきたようだ。

すぐ転移するかもということと、

すぐ今の病院を追い出されないかということも心配みたい。

 

手術を受けられるかもしれないから、

検査を受けてみたいと言えば、

だめなときの受け入れもなんとかなるよ。

 

ためらったが、手相の話をすると、思いの外、喜んでくれた。

未来がとても楽しみになる。

 

病棟のフロアを5周散歩したら、息切れ。

呼吸が速いなあと前から思っていたけれど、

脈が寝るときも90あるんだっって。

 

そして、揺れるから、副腎のあたりが前より痛いっていう。

便秘のせいかもしれないけれど。

背骨、肩甲骨、脇腹、全部。

そういわれると、いっときの夢から覚めるよう。

ゆ、ゆめ?

 

2007年3月22日

オット君、熱下がらず。

39.5度まであがる。

LDHが上昇しているらしい。

 

主治医O先生出張中につき、O先生に聞く。

T先生の本に、副腎転移なら切除とあると見せた。

H先生はこの病院の顧問にもなっている。

 

そうしたら、ウチでは切らない。

腫瘍がデカい。

副腎もあのくらい大きく腫れていると、癒着や腸、膵臓への浸潤が考えられる。

それを取るとなると、大手術。

 

だからウチでは手術はやらない、

やるならとっくにやっている、と。

悔しい。生き抜いてやる。腫瘍よ、小さくなれ〜!

 

オット君、夕食のサラダを完食。

青じそドレッシングがほしいとのリクエスト。

ポン酢もレモンも飽きたと。

 

帰り道、母から「こんなときに車を買うんじゃなかった、ごめんね」とメール。

もうびっくり。

変なことを気にして。

とやかく言ってくる身内のわなにかかっている。

こんなときに車を買っていいの?という悪意の呪縛。

驚いたけれど、巻き込まれないで。

 

でも、そういうより、購入(+下取り)により、

書類のやりとりなどで時間がとられ、

こちらにこられないのを気にしているみたい。

 

身内、なんのつもりか、また見舞いに来た。

アイスノンをして寝ていたから、ビジネス雑誌を置いてきた、

というメールが母に入ったそうで、母が慌てて連絡をしてきた。

 

どういう神経をしているのか。

自分が脚の悪いおばあさんを介護したとき(バイト?)、

足元ばかりを見て電柱に気付かず、転んだ。

空を見ることも必要、とか。

仕事でテンションがあがるから、テンションが上がる雑誌をおいてきたとか。

 

限られた時間、好きなことをしろ、とか言っていた人か、

仕事の話か。

どんな思いで仕事の整理をしたと思っているのか。

 

隠れていたほころびが噴出する。

雑音が多い。

2007年3月21日

オット君、熱下がらず。

39.4度くらい。

 

ばーちゃん(義理)は、孫が病気で、余計元気になったみたい。

オット君、肌がアレルギー反応で真っ赤でぼこぼこ、

真夏のじんましん満開の私の肌みたい。

 

夜、いとこから電話。

泣きながらで驚いた。

自分が乳がん検診で引っかかったとき、とても怖かったから、

どんな思いをしているのかと。

 

 

2017年3月20日

母、ゲルマニウム温浴整骨院でマッサージを受ける。

もみ返しか、首が痛いという。

 

ひとりだと何もやる気がしない。

野菜の宅配。ひとりでも使い切れそうなものだけが届き、

助かった。

 

2003年2月 大腸がん発覚

   3月 手術

2004年4月 リンパ節に腫れ発覚

   8月 がん専門病院に転院する、ネコ亡くなる。

   12月 抗がん剤開始。5FU+ロイコボリン

2006年4月 左足に浮腫出現

          10月 腸閉塞、ストマ造設、FOLFOX4

 

オット君

2007年2月 オット君、肺がん発覚

      会社の産業医の病院で検査

   3月2日 がん専門病院へ  

   3月7日 気管支鏡検査

   3月12日 入院

   3月16日 抗がん剤、カルボプラチン+タキソール

 

ひとりだとやる気しない。すぐ涙が出る。

 

病院に行くと、義理家族がいて、本人は熱でぐったりしていた。

足もみをしても、寒いと言って怒る。

 

レントゲン、血液検査。先生がきて、熱のことを聞く。

 

細菌感染はなく、肺炎反応もない。

たぶん薬との相性。

アレルギー反応。

もともとの腫瘍熱。

 

ただ、肺炎の可能性は捨てきれないので、随時レントゲン。

血液検査、車椅子でレントゲンへ。

オット君、「こんなことをさせてスマンねぇ、介護だねぇ」だって。

 

39.4度まで上がる。

ちょうどオット君上司がくる。

実家のお父さまが肝臓がんで亡くなったと。

週末はずっと病院に泊まっていたらしい。

いくつになっても親が亡くなるのはキツイと言っていた。

まだ夢のような気がすると。

悪い考えは遠くにおいて、よいことを考えて、

というようなことを言っていた。

 

オット君は食欲がなく、ツマ子が代わりにたいらげ、

オット君はウィダーインゼリー。これなら余裕で食べられた!

 

夜、暑くなってきて、布団をはぎ、

「足もみしてもらおうかなぁ」って。

できることをやって、希望が持てるようにやっていこうね。

休み明けはいよいよセカンドオピニオンの予約。

 

母は朝から「芝生に水やり。ぐったりしてた芝が水で復活。

水はすばらしい」とか、前向きにやっていこうとするメールをくれる。

気張らせるとリバウンドがこないか心配。

 

夢ならいいのに。なんてこった。

神様、どうか助けてほしい。

見逃してほしい。

 

ネットを見ると、きつい。

同じような病状のブログはあまりない。

つまりそれだけ、進行が早いということなんだな。

でも、そこに入らなければいい話し。

 

どうかスタートラインにたてますように。

いまのままではちときつすぎる。

 

昨日、電話で身内に言われたこと。

冷静に考えると、自分の意見に酔って人に強要していると気付いた。

身内だけれど、残念。恥ずかしいことだと思った。

 

一年生存率50%といったって、5年生きている人もいる。

死ぬことを前提に付き合われるなんて、

付き添われる方も迷惑な話だ。

こういう人とは関わりたくない。

 

 

2007年3月19日 セカンドオピニオンの依頼

10時、仕事

12時、会社の健康相談室。

その前に病院に寄り、人参ジュースを渡す。

 

オット君だるそう。関節痛もひどいんだって。

 

健康相談室で。

 

今はがんばろう!と思ってのぞんだのに、

思った以上に副作用がやっかいで、がっくりくる時期。

心配してくれる人の期待に応えようとしているのに、

身体が思うようについていかなくてがっくりくる。

食べられなければ食べなくていい、

体重が減るからと無理して食べるのもいいけれど、

嘔吐するとがっくりするから無理に食べなくていい。

食べられるものを見つけるといい。

 

気持ち悪いのは、第2波もある。

 

骨髄抑制は、白血病とかの薬に比べるとたいしたことはない。

 

会社への連絡は、貧血による体調不良が続いているという程度で十分。

 

看護師は、抗がん剤をやりながら通勤してくる人もいるからと。

上司は、あんなに机を片付けることないのに。

治る人もいるし、待っていると言ってくれていると。

 

セカンドオピニオンは、2つの病院に。

先生が、たぶん肺手術後の話しだと思うけれど、

単独転移なら手術の症例もあるという文言をHPでみつけ、

これを言うといいといってくれた。

 

いったん家に。

母が白菜があるというから、白菜のパスタにする予定が、

白菜が見当たらない。

「あら、おしんこに全部使っちゃったかしら」だって。

おいおい。

 

陽射しがポカポカで、

ふたりでご飯を食べるのは幸せだと思った。

何をしゃべったか覚えていないのが悔しい。

 

そうだ、帰ったら、コンニャクをやっていて、

「これをすると気持ちがいい」と言っていた。よかった。

こんにゃくにありがとうをして、捨てた。

 

そうだ、母は少し前、がんになってから、

高い洋服を買うのが嫌になったと言っていた。

いつまで着られるか分からないし、次、着れるか分からないし。

私もいま、ためらっている。

コート、スーツ、クリーニングしていいのか?

 

3:00、母、ゲルマニウム温浴に。

腰がまっすぐ。

朝、痛み止めを飲んだけれど、効いてきたのかな?

背中をさわると、ぼこっとした腫れがみつからない。

 

オット君のところに。

義母が、びわの葉を摘んでもってきてくれた

ありがたい。

 

健康相談室の先生に聞いた話をすると、

「今、がっくりくる時期」というのに共感して、安心したみたい。

「先生、いいこと言うなあ」と喜んでいた。

安心して、ご飯にあまり手をつけなかった。

今日は刺身だった。

 

とにかく関節が痛くて、ジジイみたい、らしい。

起き上がるのがやっとで、トイレも嫌だって。

それより熱が心配。

 

夜、身内に電話。

しなきゃよかった。

・現実を見ろ

・自分は叔父、親戚、立て続けに亡くなって、

人は必ず死ぬ、自分もいつ死んでもと思えるようになった。

そういう状態で育っていない人だから、よけいそう思わないだろう。

・変に治る期待をもたせて、残された時間を無駄にするのはどうか

・お金の心配はすることはない。ローンも団信でチャラになるのだから

好きなことをすればいい

 

あまりにもお金のことをいうから、オット君が何か言ったのかと聞いたら、

それは言っていない、だって。

それならなおのこと何様だろうか。

人の家の経済だ。

 

こっちは、治療法を含め、迷いながらリスクも分かりながらやっているのに、

プラチナ製剤は蓄積されるからとか、したり顔で得意げに

知識を披露されても、そのくらいネットを見ればするわかる。

副作用が出ている人を実際目の前で見ているわけでもないのに、

何を言っているんだ。

達観して、死生観をしたり顔で得々と話す。恥ずかしい。

 

その場で、夜遅くにごめんね、と電話を切ればよかった。

まともに聞いて、馬鹿な私。

 

あたまにきて、どうしようと思ったが、

実家に帰った母に電話。

話しているうちに落ち着いてきたが、

本当にこんなことで母が悪くなったら申し訳ない。

 

夜は、はじめてひとりぼっち。

広すぎる。

早く帰ってきてね。

 

病院、セカンドオピニオンの件はすんなり。

紹介状の宛先の先生の名前を言うと、

「あの人は結構大きく切るみたいだからなぁ」と。

ちょっと笑っていた。

 

「やっぱりそう?切るの好きな人?」と聞くと、

「まあ、話を聞くだけ、聞いてみなさい」と。

 

どうなるのかな。

でも、あれ。

切れば、スタートラインに立てると思うのだ。