10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年3月22日

オット君、熱下がらず。

39.5度まであがる。

LDHが上昇しているらしい。

 

主治医O先生出張中につき、O先生に聞く。

T先生の本に、副腎転移なら切除とあると見せた。

H先生はこの病院の顧問にもなっている。

 

そうしたら、ウチでは切らない。

腫瘍がデカい。

副腎もあのくらい大きく腫れていると、癒着や腸、膵臓への浸潤が考えられる。

それを取るとなると、大手術。

 

だからウチでは手術はやらない、

やるならとっくにやっている、と。

悔しい。生き抜いてやる。腫瘍よ、小さくなれ〜!

 

オット君、夕食のサラダを完食。

青じそドレッシングがほしいとのリクエスト。

ポン酢もレモンも飽きたと。

 

帰り道、母から「こんなときに車を買うんじゃなかった、ごめんね」とメール。

もうびっくり。

変なことを気にして。

とやかく言ってくる身内のわなにかかっている。

こんなときに車を買っていいの?という悪意の呪縛。

驚いたけれど、巻き込まれないで。

 

でも、そういうより、購入(+下取り)により、

書類のやりとりなどで時間がとられ、

こちらにこられないのを気にしているみたい。

 

身内、なんのつもりか、また見舞いに来た。

アイスノンをして寝ていたから、ビジネス雑誌を置いてきた、

というメールが母に入ったそうで、母が慌てて連絡をしてきた。

 

どういう神経をしているのか。

自分が脚の悪いおばあさんを介護したとき(バイト?)、

足元ばかりを見て電柱に気付かず、転んだ。

空を見ることも必要、とか。

仕事でテンションがあがるから、テンションが上がる雑誌をおいてきたとか。

 

限られた時間、好きなことをしろ、とか言っていた人か、

仕事の話か。

どんな思いで仕事の整理をしたと思っているのか。

 

隠れていたほころびが噴出する。

雑音が多い。

2007年3月21日

オット君、熱下がらず。

39.4度くらい。

 

ばーちゃん(義理)は、孫が病気で、余計元気になったみたい。

オット君、肌がアレルギー反応で真っ赤でぼこぼこ、

真夏のじんましん満開の私の肌みたい。

 

夜、いとこから電話。

泣きながらで驚いた。

自分が乳がん検診で引っかかったとき、とても怖かったから、

どんな思いをしているのかと。

 

 

2017年3月20日

母、ゲルマニウム温浴整骨院でマッサージを受ける。

もみ返しか、首が痛いという。

 

ひとりだと何もやる気がしない。

野菜の宅配。ひとりでも使い切れそうなものだけが届き、

助かった。

 

2003年2月 大腸がん発覚

   3月 手術

2004年4月 リンパ節に腫れ発覚

   8月 がん専門病院に転院する、ネコ亡くなる。

   12月 抗がん剤開始。5FU+ロイコボリン

2006年4月 左足に浮腫出現

          10月 腸閉塞、ストマ造設、FOLFOX4

 

オット君

2007年2月 オット君、肺がん発覚

      会社の産業医の病院で検査

   3月2日 がん専門病院へ  

   3月7日 気管支鏡検査

   3月12日 入院

   3月16日 抗がん剤、カルボプラチン+タキソール

 

ひとりだとやる気しない。すぐ涙が出る。

 

病院に行くと、義理家族がいて、本人は熱でぐったりしていた。

足もみをしても、寒いと言って怒る。

 

レントゲン、血液検査。先生がきて、熱のことを聞く。

 

細菌感染はなく、肺炎反応もない。

たぶん薬との相性。

アレルギー反応。

もともとの腫瘍熱。

 

ただ、肺炎の可能性は捨てきれないので、随時レントゲン。

血液検査、車椅子でレントゲンへ。

オット君、「こんなことをさせてスマンねぇ、介護だねぇ」だって。

 

39.4度まで上がる。

ちょうどオット君上司がくる。

実家のお父さまが肝臓がんで亡くなったと。

週末はずっと病院に泊まっていたらしい。

いくつになっても親が亡くなるのはキツイと言っていた。

まだ夢のような気がすると。

悪い考えは遠くにおいて、よいことを考えて、

というようなことを言っていた。

 

オット君は食欲がなく、ツマ子が代わりにたいらげ、

オット君はウィダーインゼリー。これなら余裕で食べられた!

 

夜、暑くなってきて、布団をはぎ、

「足もみしてもらおうかなぁ」って。

できることをやって、希望が持てるようにやっていこうね。

休み明けはいよいよセカンドオピニオンの予約。

 

母は朝から「芝生に水やり。ぐったりしてた芝が水で復活。

水はすばらしい」とか、前向きにやっていこうとするメールをくれる。

気張らせるとリバウンドがこないか心配。

 

夢ならいいのに。なんてこった。

神様、どうか助けてほしい。

見逃してほしい。

 

ネットを見ると、きつい。

同じような病状のブログはあまりない。

つまりそれだけ、進行が早いということなんだな。

でも、そこに入らなければいい話し。

 

どうかスタートラインにたてますように。

いまのままではちときつすぎる。

 

昨日、電話で身内に言われたこと。

冷静に考えると、自分の意見に酔って人に強要していると気付いた。

身内だけれど、残念。恥ずかしいことだと思った。

 

一年生存率50%といったって、5年生きている人もいる。

死ぬことを前提に付き合われるなんて、

付き添われる方も迷惑な話だ。

こういう人とは関わりたくない。

 

 

2007年3月19日 セカンドオピニオンの依頼

10時、仕事

12時、会社の健康相談室。

その前に病院に寄り、人参ジュースを渡す。

 

オット君だるそう。関節痛もひどいんだって。

 

健康相談室で。

 

今はがんばろう!と思ってのぞんだのに、

思った以上に副作用がやっかいで、がっくりくる時期。

心配してくれる人の期待に応えようとしているのに、

身体が思うようについていかなくてがっくりくる。

食べられなければ食べなくていい、

体重が減るからと無理して食べるのもいいけれど、

嘔吐するとがっくりするから無理に食べなくていい。

食べられるものを見つけるといい。

 

気持ち悪いのは、第2波もある。

 

骨髄抑制は、白血病とかの薬に比べるとたいしたことはない。

 

会社への連絡は、貧血による体調不良が続いているという程度で十分。

 

看護師は、抗がん剤をやりながら通勤してくる人もいるからと。

上司は、あんなに机を片付けることないのに。

治る人もいるし、待っていると言ってくれていると。

 

セカンドオピニオンは、2つの病院に。

先生が、たぶん肺手術後の話しだと思うけれど、

単独転移なら手術の症例もあるという文言をHPでみつけ、

これを言うといいといってくれた。

 

いったん家に。

母が白菜があるというから、白菜のパスタにする予定が、

白菜が見当たらない。

「あら、おしんこに全部使っちゃったかしら」だって。

おいおい。

 

陽射しがポカポカで、

ふたりでご飯を食べるのは幸せだと思った。

何をしゃべったか覚えていないのが悔しい。

 

そうだ、帰ったら、コンニャクをやっていて、

「これをすると気持ちがいい」と言っていた。よかった。

こんにゃくにありがとうをして、捨てた。

 

そうだ、母は少し前、がんになってから、

高い洋服を買うのが嫌になったと言っていた。

いつまで着られるか分からないし、次、着れるか分からないし。

私もいま、ためらっている。

コート、スーツ、クリーニングしていいのか?

 

3:00、母、ゲルマニウム温浴に。

腰がまっすぐ。

朝、痛み止めを飲んだけれど、効いてきたのかな?

背中をさわると、ぼこっとした腫れがみつからない。

 

オット君のところに。

義母が、びわの葉を摘んでもってきてくれた

ありがたい。

 

健康相談室の先生に聞いた話をすると、

「今、がっくりくる時期」というのに共感して、安心したみたい。

「先生、いいこと言うなあ」と喜んでいた。

安心して、ご飯にあまり手をつけなかった。

今日は刺身だった。

 

とにかく関節が痛くて、ジジイみたい、らしい。

起き上がるのがやっとで、トイレも嫌だって。

それより熱が心配。

 

夜、身内に電話。

しなきゃよかった。

・現実を見ろ

・自分は叔父、親戚、立て続けに亡くなって、

人は必ず死ぬ、自分もいつ死んでもと思えるようになった。

そういう状態で育っていない人だから、よけいそう思わないだろう。

・変に治る期待をもたせて、残された時間を無駄にするのはどうか

・お金の心配はすることはない。ローンも団信でチャラになるのだから

好きなことをすればいい

 

あまりにもお金のことをいうから、オット君が何か言ったのかと聞いたら、

それは言っていない、だって。

それならなおのこと何様だろうか。

人の家の経済だ。

 

こっちは、治療法を含め、迷いながらリスクも分かりながらやっているのに、

プラチナ製剤は蓄積されるからとか、したり顔で得意げに

知識を披露されても、そのくらいネットを見ればするわかる。

副作用が出ている人を実際目の前で見ているわけでもないのに、

何を言っているんだ。

達観して、死生観をしたり顔で得々と話す。恥ずかしい。

 

その場で、夜遅くにごめんね、と電話を切ればよかった。

まともに聞いて、馬鹿な私。

 

あたまにきて、どうしようと思ったが、

実家に帰った母に電話。

話しているうちに落ち着いてきたが、

本当にこんなことで母が悪くなったら申し訳ない。

 

夜は、はじめてひとりぼっち。

広すぎる。

早く帰ってきてね。

 

病院、セカンドオピニオンの件はすんなり。

紹介状の宛先の先生の名前を言うと、

「あの人は結構大きく切るみたいだからなぁ」と。

ちょっと笑っていた。

 

「やっぱりそう?切るの好きな人?」と聞くと、

「まあ、話を聞くだけ、聞いてみなさい」と。

 

どうなるのかな。

でも、あれ。

切れば、スタートラインに立てると思うのだ。

2007年3月18日(日)

起きたら、オット君、吐き気があるみたい。

食欲もなく、でも人参ジュース、パン、ヨーグルト、リンゴを食べる。

アラジンの石油ストーブの芯を取り替えてくれた。

結構、難儀らしい。

次の取り替えも頼むよ。

 

食べたら横になる。

熱が37.6度とでてまたぐったり。

コンニャク湿布をする。

 

38.1度まで上がる。

あれしてこれしてうるさくて頭にくる。

タクシーで病院に行く。

そうはいっても、やっぱりすぐ気分は変わった。

治ってほしい。

 

病院に着いたら、また病気を自覚させられたみたい、

落ち込んだ顔になる。

無駄かもしれないけれど、気とか温灸とか一生懸命やる。

これぐらいしかできることがない。

 

看護師さんには、吐くほどではないけれど、ムカムカすると言っていた。

少し、風邪みたいな感じで節々が痛い気がすると。

 

熱の原因を調べる。

細菌感染かもしれないので培養すると採血。

 

ああ、いつかこんなこともあったと笑って話せる日がこないかな。

 

「農薬まみれの人参」とか、「よくひとりで帰せるね」とか。

 

具合の悪い人を遠くで案じるのも心配だけれど、

目の前でそうだと何もできないし、心配で気が狂いそうになる。

 

2007年3月17日

母はゲルマ温浴

帰ってくるとぐったり。痛いらしい。

 

16時頃病院にいくと、外泊許可だって。

親戚の叔父さんがくるというので、それを待つことに。

 

叔父さんはとても元気そう。

再手術をして5年になるそうだ。

オット君も手術できればなぁ。

 

別の叔父さんが、「どうやって病気がわかったの?」とオット君にきく。

「体重減、倦怠感…」とか言っていたら、

すぐ話がうつる。

 

「微熱がずっと続いていた」というと、

「微熱、1週間で病院に行くよね?」「行くよね」って嫌がらせ状態。

今日も、オット君は熱も下がり、調子がよさそうで

とても病気に見えないからなぁ。

 

家に帰る。

母は、ストマちゃんのお手入れ。

やっぱり腰骨のあたりが、ストマ外来の看護師が言っていたように

痩せている。

背中もこぶみたいな感じがする。

 

具合が悪いのに、ご飯の用意をしていてくれた。

かぼちゃの煮物、とてもおいしい。