10年前の今日この日に。闘病の記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前のふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します。

ツマ子:何ごともなかったんじゃないかという気持ちと、絶望といったりきたり

ツマ子

2007年3月5日(月)

 

今日は、オット君は会社。

人参ジュースを飲んで出かけた。

 

ああ、胸が重い。

早く「よかったですね。治りました」という声が聞きたい。

夢であってほしい。

 

昨日、『転移した方へ・・・』というような本を読んだ。

むくみ、末期にあらわれる、ひどくなる前に泌尿科を受診を、とあった。

オババのリンパ浮腫、気になる。

ああ、もう。

ふたりとも助けて。

 

「家族はどうなるんだという気持ちと

何ごともなかったんじゃないかという気持ちの中でアップダウンする」

というようなことが書いてあり、びっくりした。

 

何ごともなかったんじゃないかという気持ちのとき、

だめなのかというときの絶望とをいったりきたり。

肺がんのページを見ると、予後悪い、進行早いという程度。

「なかったこと」いんして治らないか。どうか助けてあげて。

 

きのう、びわ温灸をはじめてやった。

気持ちいいと喜んでいた。

 

昨日、オット君は、会社で社長、Hさん3人に話したそう。

「君のことだから大丈夫だ」と言われたとか。

あと、木曜に美容院を予約。

「髪の毛が抜けてもよろしく」と言ったのかと想像したら、

「今回で最後かもしれない」と事情を話し、似合いそうな帽子を聞いたとか。

身辺整理をしているようだ。

 

思い返すと、首が痛いとずっと言っていたし。

それで、テレビを見るときにひじをついていたのかも。

「首の痛さが症状のあらわれだったかもしれないと思うと、

転移している気がする」と言う。

 

見た目は今までと何も変わらないのに。

どんな悪いことをしたというんだろう。

神様助けて。

 

お父さんが死んだとき、出張かな、1日目2日目まだ帰ってこない、

やっぱり帰ってこないと思っていた気持ちがよみがえる。

 

ほんの1カ月前までは、母の心配だけして普通の日々だったのに。

なんとありがたいことだったのか。

 

いまは母の心配、オット君の心配。

自分も心配だ。どうやって生きていけばいいのか。

誰もいなくなったら、生きているのは意味がない。

 

オット君は、会社の部署の人を集めて、

「暮れから体調が悪くて、一旦様子をみていたけれどやはり体調が悪くて、

いま、検査してだいたいのことは分かってきている。

いくつかの臓器に問題があり、まだ検査を続けないとならない。

早くて2〜3カ月で復帰できるかもしれないけれど、

1〜2年かかるかもしれない」と話したという。

 

会社の健康相談室は、メンタルケアと心配してくれているようだけれど、

他の人には話せないし、何から話していいのかわからない。

話して一瞬らくになっても、家に帰ればずっとひとり。

 

我が家には、「子どもほしい」計画があり。

オット君は、いま、妊娠は危険じゃないかと言う。

子どもができたらどうなるんだろう、

ほしいし、オット君の励みになってくれればいいし、

オット君を残したい、どうしたらいいんだろう。

でもひとりで育てることになるのかもしれない?

ああ、病気と共存できたら。消失してほしい。

お願いだから腫瘍に消えてほしい。

 

いったいどうなっているの?