10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年3月30日(金)外泊

オット君が外泊で家に戻ってからベッドを動かし、

そこに義理家族到着。

食事にでかける。

 

楽しく帰ってきたところに、母から電話。

抗がん剤の副作用でまた下痢がはじまってきたと。

ああ、現実。嫌だな。

 

病院Ⅱからの留守電に気付き、

慌てて電話すると、S先生。

今日のCTに右副腎と腸間膜にも転移の可能性があり、

明日エコーでお腹を診察し、方針を決めるとのこと。

 

ああ、どうして!

どうぞ左副腎のみでとどまっていて。

どうか生きるチャンスをください。

 

2007年3月29日

自転車、後輪がパンク。

タケノコの山椒の葉炒めをもって、病院に。

 

夜の回診は、H先生のみ。

先生に「薬を飲まないと38.5℃まであがります」と振ると、

「4/9手術予定」との返事。

突然のことにびっくり。しかも1カ月切っているし。

 

先生は、「抗がん剤から1カ月だしね」と。

ええ?? 3週間プラスαだよ。

 

先生も慌てるが、4/9でOK。

肺ですか?副腎ですか?両方ですか?ときくと、

「熱は副腎のせいだから、副腎が先。

あなたも思うでしょ、ぼくもそう思う」って。

おもしろすぎる。

どうぞよろしくお願いします。

 

今日はエコー。

明日はCT。

 

自宅のリビング用の寝具を用意しようと、夜、下見に行く。

すのこベッドか、ムアツか、テンピュールと想定。

10万円以上いきそう。

母にメールをすると、「早まるな、なんとかかんとか」と七五調で

わけのわからないメール。

心配しすぎか、最近、母がおかしい。

 

2007年3月28日

今日は、入院していた病院で文書が係に診断書の依頼をだしにいった。

文書料は細かく決まっていて、

生命保険用は1万円超え。びっくり。

退院後より、入院中に書いてもらった方が、

安く済んだのかなぁ?

 

セカンドオピニオンの返事を渡しに病棟にあがっていくと、

先日、セカンドオピニオンや転院について相談にのってくれた看護師さんがいた。

「病院Ⅱはどうでした?本人はどうですか?」と。

病院Ⅱは、手術が結構アグレッシブと聞いているとのこと。

この病院や病院Ⅲでは、アグレッシブなことはやらないと言っていた。

すごい心配顔で、「奥様をたよりにされていると思います」と。

心配してくれて本当にありがたい。

また戻ったらよろしくお願いしますと挨拶をした。

 

転院先の病院Ⅱにつくと、オット君はダンベルを手に散歩。

お母ちゃんにちょうど外で会う。本屋に行くと言っていた。

 

オット君は、朝、今日はとても気分がいい、

病院が古いのも、大部屋にも慣れた、とメールがきた。

朝とても気持ちがよくて、いい気が流れている気がするって。

よかった。きっと大丈夫。

 

回診で、H先生に見てもらった。

S先生は、「明日、CTを見てからだけれど、

副腎が抗がん剤で小さくなっていたら、

効いているということでこのまま抗がん剤を続けるもあり。

ま、お楽しみに〜」みたい感じ。

あくまでネガティブではなく、チャーミングなのがいい。

 

そうそう、ロビーでコーヒを飲んでいるとき、

オット君がH先生の声をキャッチ。

H先生と話す。

 

抗がん剤をやってきたから、手術は1カ月はあけた方がいいね」って。

どうぞうまくいきますように。

 

2007年3月27日

11:00には泥武士。

13:00には、転院組と、もう一カ所病院Ⅲへセカンドオピニオンに分かれて行動。

 

泥武士のランチはおいしくてよかった。

オット君と義父は、鯛飯と野菜の蒸し物。

私はいつもの野菜ランチ。

お母ちゃんはマグロとろろ。

 

病院Ⅲは、遠かった。

とてもきれいで広く、ガーデンもある。快適そう。

通うのは大変そうだが、別世界。

 

渡された携帯に、「中に入れ」とか、表示される。便利。

N先生は、肺だけならリンパ節が腫れていても

あばら骨2〜3本ごとエイヤーッととるけれど、副腎があるから、それもなし。

副腎にある段階で、血液を介して全身にまわっているとみる。

 

かつてはこの病院でも切除していたけれど、

結果が「全く」でなかったからやらないと言う。

 

骨転移を防ぐのは抗がん剤しかない。

骨転移したら、進行を遅らせる薬はあるし、

それは今の入院先の主治医O先生がよく知っていると。

 

それより、脳転移が心配。

でも、そんな先のことは心配するなと。

もう心置きなく、病院Ⅱだ。

 

でも、病院Ⅱでは、サブのS先生がいきなり、

「うちでは副腎転移は切除がいいというデータがあるようだが、

私は見たことがない」って。

どういうこっちゃ。

なんと説明されたんですか?って。

 

うーむ、でもよく考えた。

・手術できる可能性がステージⅣなのに、ある。

・しかも副腎にしっかりとどまっている(らしい)。

・しかも左。

 

病院ⅡのH先生が大丈夫という通りの状況が揃っている。

これをよしとせず、どうするのか。

 

オット君は手術は大変だよ、と迷っている。

何より8人部屋にショックを受けていたけれど、

私は母のときの田舎の病院をみたから、こんなものかって感じ。

 

ネット検索をすると、やはり気が重い。

切らない人は半年程度で亡くなっているという事実がある。

やはり可能性がある限り、切る方が期待が持てると思う。

 

病院Ⅲでは、「ふつう、副腎はこんなに腫れる前に気付くけれど…」とか

病院Ⅱでも、「ここまで大きいのはめったにお目にかかれない」と言っていた。

おい、オット君、一体何をやっていたんだよ。

 

 

 

 

2007年3月26日

成田へ。

 

お不動様ご本尊にいったら、ご祈祷まで二時間待ち。

よく分からない。

 

ご祈祷ははじめてだけれど、驚いた。

火をくべ、お経の大合唱。

太鼓、荘厳で、お不動様の苦しみ、エネルギーが伝わるようだった。

 

目をつぶっていて気付かなかったが、

カバンを渡して火にかざしてもらっている人たちがいた。

 

病院にお札を持って行くと、オット君喜んでいた。

上手な字を書くねえって。

そのまま診察券に結んでいた。

 

成田でも机下に、あまりおおっぴらに置くと、びっくりされますよ

と言われたが、本人は気にしていないようだ。

 

病院Ⅱに電話をすると、「呼吸器外科の方?」と。

ちょうど病室のやりくりがついたところで電話をしようとしたところだったらしい。

なんと10数人、2週間待ちと言われていたのに!

お不動様のお導きに違いない。

ありがとうございます。

 

急にオット君は今の病院が名残惜しくなったみたい。

でもまた病院Ⅱが嫌なら、すぐ戻ればいい。

今の病院からもOKがでて、明日転院に決まった。

 

気功がんばる。

オット君、嫌がらずにやってくれる。効きますように。

2007年3月25日

朝、実家から電話。

車の話。偶然、ご縁を感じ、お彼岸中は嫌だから、来週に手続きすることに。 

庭には腐葉土を入れて、人参を作ったよと。

親戚からお見舞いを、「ツマ子の好きなものを買って」と預かったと。

とても浮かれたように喜んでくれている。

 

ちょっと反動が怖いが、そのくらい苦しい思いをさせてしまっていたんだね。

ごめんね。ありがとう。

 

今日は病院へは、Kちゃんがダンベルとチューブを持ってきてくれた。

軽いのがなかったみたいで、重たい。

オット君、無理っぽい。

お嬢さんがとてもかわいかったらしい。

 

つかれた…と言いつつ、今日は熱がさほど上がらず、気分がよいみたいだ。

お母ちゃんは早番で4:30起きだったから疲れた、早々に帰る。

1〜3階を散歩。

 

今日も肺と脇腹が痛いみたい。

行きは昨日ほど上がらない。

脈が少し落ち着いたんだって。

どういう意味があるんだろう。

早く手術してほしい。

 

ご飯は麺類選択で、うどんのようなソーメン。

生姜を入れたらおいしかた。

明日はネギを持って行こうか。わさび必要かな。

 

心が穏やかそうだった。

 

そうそう、お昼にコンサートがあり、聞きに行ったそうな。

最後はコンテパルティロもあったり、翼をくださいをみんなで歌ったり。

視覚障害の人とかでローマに勉強を兼ねて先日もいってきたとか。

プロの人みたい。聞きたかったな。

 

で、「いい歌詞の歌があって、泣いちゃったよ〜」というから、

翼をくださいなのかと思ったら、

「せんのか〜ぜ〜に」とかいうやつ、と。

 

なーんだ、といったら、「知っているの?」と驚いていた。

まったく!有名だよ!

 

病院Ⅱ電話、呼吸器外科、8人部屋。

2007年3月24日 手術の可能性を求めてセカンドオピニオン

朝、病院Ⅱに。

保険証は、本人がいないから不要で、自費になるとのこと。

 

そうしたら、ケータイに留守電のマークが出てきた。

身内だった。

昨日、お見舞いにいったが、オット君がぐったりしていたので

心配しています、だって。

心配してくれるのはありがたいが。なぁ・・・・・

 

さて、病院Ⅱに。

近所のスポーツクラブのメンバーのおばちゃんに会い、びっくり。

 

セカンドオピニオンは、口を開くなり、

「副腎転移で切除可能。15年以上生きている人もたくさんいます。

希望をもってください」だって。

 

義母、大泣き。感激した。

癒着、浸潤も、開かないと分からないでしょと。

入院手続きを取る。

治るかもしれない!!

 

義母と別れ、母に電話。

母も涙を流して喜んでくれた。

「自分のことでは泣かなかったのに、オット君のことで

何度泣いちゃったか…」と。

ちょうど、腐葉土を買い、庭に「オット君農園」をつくり、

人参を植えるところで、念じていたとか。

 

母は「ツマ子ちゃんエライ!本当にあなたはすごい」とメールをくれて、

そんな風に言ってもらえるなのて、とてもうれしかった。

父は47で亡くなっているが、

「ツマ子には、私と同じ思いはさせられない。

自分のときは涙が涸れていたのに、変だわ」と。

 

オット君のメールの第一声は、

「本当? いきなり?」

 

母に次いでオット君も病気になったのは、

私の「運」のせいかとさえ思い詰めるようになり、

先日予約した手相に。

 

手相は、最初、何もこちらから言わないとき

「パートナーとうまく長くやっていく」と言われ、ドキッとした。

「それで今日はどうしたの?」と。

そこでどっと涙が出た。

 

後家の相はどこにも出ていない、

結婚線はしっかりしているし、

パートナー線もしっかり延びている、

夫を失うなんて、どこにも書いていないって。

占いとはいえ、うれしくなる。

 

病院につくと、1階に義母が。

一緒に病室へ。

義母は「わたしには息子はあまり喜んだ顔を見せないから」と

ちょっといじけ気味。

 

病室に入ると、オット君は憮然としている。

抗がん剤でいこうと思っていたし、

先日、O先生に癒着、浸潤と言われていたから

おっかなくて納得がいかないようだ。

録音を聴かせていると、お父ちゃんがくる。

 

・開腹しないとわからないけれど、切れるかもしれない

・開腹してだめなら、閉じてまた抗がん剤をやればいい。切るだけなら怪我しただけ。

・5年生存率は2年かもしれないけれど、ここで聞いた6%に比べればとてもよい数字。

・15年以上生きている人も「たくさん」いる←ここをテープを聞き返して喜んでいた。

抗がん剤は次に受けても、副腎が炎症を起こしている限り、熱が出て衰弱する。

 副腎は切るべき。

 

やる気になってきたようだ。

すぐ転移するかもということと、

すぐ今の病院を追い出されないかということも心配みたい。

 

手術を受けられるかもしれないから、

検査を受けてみたいと言えば、

だめなときの受け入れもなんとかなるよ。

 

ためらったが、手相の話をすると、思いの外、喜んでくれた。

未来がとても楽しみになる。

 

病棟のフロアを5周散歩したら、息切れ。

呼吸が速いなあと前から思っていたけれど、

脈が寝るときも90あるんだっって。

 

そして、揺れるから、副腎のあたりが前より痛いっていう。

便秘のせいかもしれないけれど。

背骨、肩甲骨、脇腹、全部。

そういわれると、いっときの夢から覚めるよう。

ゆ、ゆめ?