10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月11日水曜日

カメキチは、わたしの母にいらついている。

 

「手術になるか、検査結果を聞いて買える」とか、親戚に「検査疲れで・・」とか、カメキチの病状を必要以上に詳しく言っているし、自分の病気の心配だけすればいいのに、僕に気を遣うのが嫌だと。「同居は難しいねえ」って。

 

仕方ない、病人同士。一家に病人ふたり。この家はどうなっているんだ。

 

夜、病院でH先生から説明。やはり腸間膜は免疫染色で肺がんの転移。

 

大腸がんだったら、二つともは大変だけれど切除と思ったけれど、転移なので手術適応なし、抗がん剤で様子を見守り進行が止まっているようなら手術も考えようと。

 

なんで副腎に止まっている間にここにこれなかったのかと思うと、悔しくて涙が出た。

 

カメキチはそれを絶望と言うが、違うんだよね。

 

他に方策はないのか。

採血して外泊。明日から抗がん剤に戻る。

 

もとのA病院の主治医にカメキチは電話。A病院に戻るのはOKだが、火曜日になるという。一週間後。抗がん剤スケジュール優先で、B病院で受けていくことにした。