2007年4月5日 今日は外泊
しばらく投稿が途絶えましたが、気を取り直してここから2年ぶりに過去の記録の投稿を再開します。とにもかくにも、全力で転記、アップします。(今日は2019年10月29日、投稿日付は2017年4月5日から設定、出来事はその10年前の2007年4月5日)
ツマ子→くま子
オット君→カメキチ
に直します。
義母が入院しているカメキチを家まで車で乗せてくるから、迎えはいらないと言われた。カメキチ、義母と家に到着。
カメキチとわたし、義母と母と四人でしばらくおしゃべり。カメキチは家に帰ると元気になる。「退院しちゃおうか」みたいなことを義母とは言っていたみたい。
カメキチはわたしがカメキチの脱毛した毛を払っているのをみて、バリカンやってくればよかったと言ってくれたのが救い。病院でやってきてよーー。
PETの結果の画像が出て、四カ所ピンクに光っていたそうだ。転移した場所が光るのだ。
カメキチはもう抗がん剤を受けるモードに入っている。切ったり、転移したかもしれない右腸間膜ががんでなくても、じゃあ、右腎の入口が光っているのはなんなんだと。わたしは手術で切るという先生がいるなら、賭けてみたい。
でも、もうなにかあって、カメキチは「くま子がああ言ったから」となったら万一のとき、義父母に責められるだけ。話し合わないと後々大変なことになる。母も大変なことになったら責められるから、あちらに決めてもらうほうがよいのではという。
空豆を母が茹でる。「茹でたてのぷっくりしているときに食べた方がおいしいよ」と、覚めてから言う。
夕食は野菜焼きと刺身。おいしかった。
がんサポートという雑誌にタキソールのことが書かれている。しびれは「玉砂利を踏むような感じ」とあるのを母にみせると、「そうそう」と言う。
カメキチと同じように副腎転移して手術を受けた人のホームページをカメキチに見せる。余計辛い思いをさせるだけかもしれないけれど。
でも、本当にいろいろな巡り合わせ、その人とは共通項が多く、どうかあやかることができるといいと願う。
夜、母のマッサージ→カメキチのマッサージ。
母にはだいぶ愚痴って嫌な気を発散してしまった。母は腰がだいぶ痛いようだ。気当ても効いていない気がする。こんにゃくシップはやっている間は気持ち良く、痛みもないらしい。
二人目のマッサージはやはり疲れる。気当てもあまりうまくいかない。カメキチはだいぶ背中が痛そうだ。ロキソニンを飲み続けているのに!
熱は薬を飲んで37.1〜37,4度。四カ所にがんかぁ。やっぱり手相もなにもかも所詮占い夢物語。単なる願望を肯定されただけ。そうだよね、秋から、つまり半年前には自覚症状があった。自覚症状が出てからでは遅いのに、すでに半年。
カメキチは例え切ったとしても、がんの勢い画強いから、傷が治り、次の治療までの間、がんの進行を抑えられる自信はないという。ああ、辛いだろうなぁ。
どうかチャンスがほしい。チャンス=切るということか。抗がん剤か。いずれにしても明日15時に検査結果。期待したい気持ちがあるからこそ、でも現実の厳しさもあるからこそ、ああこわいなあ。チャンスがほしい。神様お不動様、お父さん、どうか、あと15年くらいカメキチを生かしてください。母も。