10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月19日

今日はわたしはインタビュー関連の仕事。

「10年後の夢は、家族仲良く健康に」と語られる。

 

わたしは泣きたくなる。

 

カメキチは、ヘモグロビン7以下だと輸血をするといわれたけれど、6を切るまで待ってもらうことにしたという。

 

ヘモグロビンの推移を見ていると、A病院からなだらかに下がっている。ショック。本当に入院してからというか、病気が分かってから、ひとつもいいニュースがない。なんとかよい軌道にのせたい。

 

貧血と熱。熱は1日三回のロキソニンと一回の座薬をもってしても、38℃になる。

 

便は潜血反応有り。腸間膜に腫瘍があるから、仕方ないが、他からも出血の可能性アリ。ゆくゆく調べないととのこと。

 

ああ、カメキチ。どうなっているの。ああ、困ったよ。どうしたらよい。

笑って読み返せるときはくるの?

 

カメキチの退院は、輸血関係のため、のびることに。

カメキチは結婚記念日はお家で過ごせると思っていたのに、とがっかりする。

そんなこと・・・忘れていた。

さすがアニバに強いカメキチ。

 

ああ、どうか、今、辛くても我慢するから、カメキチを助けて。

 

夜、カメキチの会社の上司から、ご祈祷?の申し出のメールをいただく。霊媒師っぽい。うーん。でもお金はいらないと言ってくれている。

 

かめきち、このまま死んじゃうのかなと弱気になる。

なにしろ貧血で動く気がしないらしい。

S先生は、輸血すると元気になるよと言う。でも出血が止まるわけではないから、継続的に輸血になる。

とすると、肝臓も心配になる。ああ、どうか回復基調にのせたい。

光がほしい。

 

カメキチがいなくなったら、わたしは本当にひとり。

カメキチが今死んでいいはずがないよ。助けて。