10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月18日

やること

・問い合わせ1 公立病院 温熱

・問い合わせ2 大学病院 免疫療法

 

 

抗がん剤5日目。熱はまだ下がらず、38度台。座薬。

カメキチはそれでも熱が下がらないことに困惑。

 

問い合わせ1の病院は、冷たかったなぁ。

学会のを読むと、悪性胸膜中皮腫とか、肺がんじゃないか、ここは。

それに肺だけ温めると、副腎の腫瘍が育つスピードが速まるとか、おっかないことを言っていた。

 

2のほうの大学病院、免疫療法の先生は親切だった。

都内のクリニックとは全然違う。あちらは営利団体だからだろうって。好感が持てた。

標準治療をがんばるように。

状況は難渋すると思う。

大きい腫瘍は消えないと。

 

カメキチは目がうつろで、先生が回診にきたときだけ声が大きく、見栄っ張り。

「熱がでて大変だろうけれど頑張っていこうね」と先生にいわれる。いい先生だ。

 

どうしたら希望がみえる軌道にのせてあげられるのかな。

 

親戚に「胃じゃなくてよかったな。胃は食べられないんだ。吐いちゃうらしい」と言われる。本当に的外れのひどいことを言う。こちらは命がかかっているのに、無知もいいところ。

 

今日は義理兄弟くんがきたが、義父は「さ、帰ろう。飯食おうと言っている」だって。昨日は「ウナギ食べたい」とか。思いやりがなさすぎる。

 

脚のマッサージをして、効くのか?とか。

 

カメキチがいなくなったら、わたしは本当にひとりぼっちだ。