10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月4日

母、10時にCTの結果と抗がん剤

 

オット君はPET後、外泊するというので、

家を慌てて片付け、抜け毛対策をする。

 

出がけにS先生から電話。

今日、外泊OKを出したけれど、針を刺す先生が今日夕方OKなので、

早く診断をつけたいから、今日戻ってきてほしいという。

 

前の病院で、診断書ができたので見ると、

すごい下手な字でぴょろぴょろ〜tp。

これで15000円かぁ。

 

母の外来は、すぐ呼ばれたので、結果がよかったのかなと思ったが、

横ばいで安堵。

白血球も3100。

「本当?」と母とふたりで顔を見合わせ、これも安堵。

もっと数値が低くて、抗がん剤ができないかもとも思っていた。

 

抗がん剤中は、「薬剤師さんにお話できると、気持ちが明るくなる〜」と

母は楽しくおしゃべり。

「先生と違って、薬剤師のぼくたちはいいとこどりなんです。

比較的時間もあるので、いつでも」と言ってくれていた。

 

「6月にアバスチンがでるから、それまでオキサリプラチンが効くように、

オキサリプラチンの副作用も軽い方なので、

なんとかやっていきましょう」と。

 

オキサリプラチンの副作用の足のしびれは、あると歩けないわけではなく、

おぼつかない、と言う感覚で、「私は、しびれが手だけで良かった」

と話していたら、夜、早速足がしびれて大慌て。

 

外に出るとザーザー降り。

タクシーで駅まで。

「心で運転するドライバーです」なんて書いてあったけれど、

運転へたくそでふわんふわんに揺れた。

 

帰ると、オット君からメール。

「今日はとても疲れた、お茶も食事もできない。

点滴しているから、病院にこなくていいよ。おばばと居て」と。

言葉に甘える。

 

義母からは、オット君が「針を刺す検査が大変だったみたいで元気がない。

朝から元気なくさびしそうだ。検査結果はあさって昼分かる」とのこと。

 

夜、母は、コンニャク湿布をしながらイビキ。

柑橘を食べたら「これ、甘くておいしい、生き返った」。

ご飯を食べると「元気出てきた」とか。

頑張り屋さんだなぁ。

 

しかし、腰はだいぶ痛いみたい。

痛み止めと睡眠薬、どちらを飲もうか迷っていた。

 

連れ子のような、抗がん剤のペットボトルがあるので、

マッサージは足を中心に。

 

脇のリンパなど、上半身のマッサージをしなかったら、どうも戻りが悪い。

背中をさすってからまた足に戻ると、意外や足の浮腫がスッキリして驚いた。

「終わり」と言っても反応がないので、「寝ちゃったの?」ときくと

「気持ちいい〜〜♪」とゴロゴロしている。

自分でセルフマッサージだと疲れるし、

お腹がよじれてストマ袋が心配だし、と。

お役に立ててよかったわ。

 

そうそう、戸籍の名前の漢字が間違っていてビックリした。