10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月2日(月)

細胞診は、大腸が手前にあるので見送られた。

PETもあるから、と。

 

その腫瘍は、転移巣でない可能性もあり、

まれに便が溜まっているのがこんな風に映るケースがあると。

ただ、便が出ている以上、ありえないんじゃないか?

すでにオット君は、前の病院に戻り、

抗がん剤2クール目をすることに頭が向いているようだ。

 

夕方、義母がタケノコご飯をもってきてくれた。

オット君おいしく完食。

 

そして風呂から出て唖然。

髪がない!

剃り込み部分がもうなんとも毛が無く、涙が出る。

毛が抜けるのはなんとも思わなかったけれど、

目の当たりにすると、体がどれほど辛いんだろうかと思ってショック。

 

大腸の影が、前の病院の1カ月前の画像より1.5倍になっていると聞いたこともあり、

効いていない抗がん剤で、こんな副作用を受けるとは。

 

眉毛もなかなかな生えてこなそう。

でも前よりそのカタチの方がいいねとしみじみ。

 

風呂上がり、応接セットで涼むオット君。

高齢に見えて、別人かと思ってしまった自分にビックリした。

 

帰り、泣けてきた。

どうしたらいいんだろう。

うちに帰っても、母がいるから心配させちゃいけないと思ったけれど、

やっぱり言ってしまった。

 

母も、手術ができないだろうときいて、ショックを受けていた。

1.5倍というあまりの早さにもショック。

夜、足もみをしながら、

「お父さんと結婚するとか、自分が選んだことだから。

そこからすべて否定すると、もともこもない。

だからよかった。幸せなときもあったし。

呪われているとしたら私だ」って。

 

でも、私が「私のほうが状況が悪いのよ。

私を看取る人はいないし、こうなっても足もみしてくれる人はいないよ」

というと、「あたしがやる!」と張り切っていた。

頼みますよ。