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10年前の今日この日に。闘病の記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前のふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します。

ツマ子:手術の可能性を求めてセカンドオピニオン

2007年3月24日

 

朝、病院Ⅱに。

保険証は、本人がいないから不要で、自費になるとのこと。

 

そうしたら、ケータイに留守電のマークが出てきた。

身内だった。

昨日、お見舞いにいったが、オット君がぐったりしていたので

心配しています、だって。

心配してくれるのはありがたいが。なぁ・・・・・

 

さて、病院Ⅱに。

近所のスポーツクラブのメンバーのおばちゃんに会い、びっくり。

 

セカンドオピニオンは、口を開くなり、

「副腎転移で切除可能。15年以上生きている人もたくさんいます。

希望をもってください」だって。

 

義母、大泣き。感激した。

癒着、浸潤も、開かないと分からないでしょと。

入院手続きを取る。

治るかもしれない!!

 

義母と別れ、母に電話。

母も涙を流して喜んでくれた。

「自分のことでは泣かなかったのに、オット君のことで

何度泣いちゃったか…」と。

ちょうど、腐葉土を買い、庭に「オット君農園」をつくり、

人参を植えるところで、念じていたとか。

 

母は「ツマ子ちゃんエライ!本当にあなたはすごい」とメールをくれて、

そんな風に言ってもらえるなのて、とてもうれしかった。

父は47で亡くなっているが、

「ツマ子には、私と同じ思いはさせられない。

自分のときは涙が涸れていたのに、変だわ」と。

 

オット君のメールの第一声は、

「本当? いきなり?」

 

母に次いでオット君も病気になったのは、

私の「運」のせいかとさえ思い詰めるようになり、

先日予約した手相に。

 

手相は、最初、何もこちらから言わないとき

「パートナーとうまく長くやっていく」と言われ、ドキッとした。

「それで今日はどうしたの?」と。

そこでどっと涙が出た。

 

後家の相はどこにも出ていない、

結婚線はしっかりしているし、

パートナー線もしっかり延びている、

夫を失うなんて、どこにも書いていないって。

占いとはいえ、うれしくなる。

 

病院につくと、1階に義母が。

一緒に病室へ。

義母は「わたしには息子はあまり喜んだ顔を見せないから」と

ちょっといじけ気味。

 

病室に入ると、オット君は憮然としている。

抗がん剤でいこうと思っていたし、

先日、O先生に癒着、浸潤と言われていたから

おっかなくて納得がいかないようだ。

録音を聴かせていると、お父ちゃんがくる。

 

・開腹しないとわからないけれど、切れるかもしれない

・開腹してだめなら、閉じてまた抗がん剤をやればいい。切るだけなら怪我しただけ。

・5年生存率は2年かもしれないけれど、ここで聞いた6%に比べればとてもよい数字。

・15年以上生きている人も「たくさん」いる←ここをテープを聞き返して喜んでいた。

抗がん剤は次に受けても、副腎が炎症を起こしている限り、熱が出て衰弱する。

 副腎は切るべき。

 

やる気になってきたようだ。

すぐ転移するかもということと、

すぐ今の病院を追い出されないかということも心配みたい。

 

手術を受けられるかもしれないから、

検査を受けてみたいと言えば、

だめなときの受け入れもなんとかなるよ。

 

ためらったが、手相の話をすると、思いの外、喜んでくれた。

未来がとても楽しみになる。

 

病棟のフロアを5周散歩したら、息切れ。

呼吸が速いなあと前から思っていたけれど、

脈が寝るときも90あるんだっって。

 

そして、揺れるから、副腎のあたりが前より痛いっていう。

便秘のせいかもしれないけれど。

背骨、肩甲骨、脇腹、全部。

そういわれると、いっときの夢から覚めるよう。

ゆ、ゆめ?