10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2017年3月20日

母、ゲルマニウム温浴整骨院でマッサージを受ける。

もみ返しか、首が痛いという。

 

ひとりだと何もやる気がしない。

野菜の宅配。ひとりでも使い切れそうなものだけが届き、

助かった。

 

2003年2月 大腸がん発覚

   3月 手術

2004年4月 リンパ節に腫れ発覚

   8月 がん専門病院に転院する、ネコ亡くなる。

   12月 抗がん剤開始。5FU+ロイコボリン

2006年4月 左足に浮腫出現

          10月 腸閉塞、ストマ造設、FOLFOX4

 

オット君

2007年2月 オット君、肺がん発覚

      会社の産業医の病院で検査

   3月2日 がん専門病院へ  

   3月7日 気管支鏡検査

   3月12日 入院

   3月16日 抗がん剤、カルボプラチン+タキソール

 

ひとりだとやる気しない。すぐ涙が出る。

 

病院に行くと、義理家族がいて、本人は熱でぐったりしていた。

足もみをしても、寒いと言って怒る。

 

レントゲン、血液検査。先生がきて、熱のことを聞く。

 

細菌感染はなく、肺炎反応もない。

たぶん薬との相性。

アレルギー反応。

もともとの腫瘍熱。

 

ただ、肺炎の可能性は捨てきれないので、随時レントゲン。

血液検査、車椅子でレントゲンへ。

オット君、「こんなことをさせてスマンねぇ、介護だねぇ」だって。

 

39.4度まで上がる。

ちょうどオット君上司がくる。

実家のお父さまが肝臓がんで亡くなったと。

週末はずっと病院に泊まっていたらしい。

いくつになっても親が亡くなるのはキツイと言っていた。

まだ夢のような気がすると。

悪い考えは遠くにおいて、よいことを考えて、

というようなことを言っていた。

 

オット君は食欲がなく、ツマ子が代わりにたいらげ、

オット君はウィダーインゼリー。これなら余裕で食べられた!

 

夜、暑くなってきて、布団をはぎ、

「足もみしてもらおうかなぁ」って。

できることをやって、希望が持てるようにやっていこうね。

休み明けはいよいよセカンドオピニオンの予約。

 

母は朝から「芝生に水やり。ぐったりしてた芝が水で復活。

水はすばらしい」とか、前向きにやっていこうとするメールをくれる。

気張らせるとリバウンドがこないか心配。

 

夢ならいいのに。なんてこった。

神様、どうか助けてほしい。

見逃してほしい。

 

ネットを見ると、きつい。

同じような病状のブログはあまりない。

つまりそれだけ、進行が早いということなんだな。

でも、そこに入らなければいい話し。

 

どうかスタートラインにたてますように。

いまのままではちときつすぎる。

 

昨日、電話で身内に言われたこと。

冷静に考えると、自分の意見に酔って人に強要していると気付いた。

身内だけれど、残念。恥ずかしいことだと思った。

 

一年生存率50%といったって、5年生きている人もいる。

死ぬことを前提に付き合われるなんて、

付き添われる方も迷惑な話だ。

こういう人とは関わりたくない。