10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年3月14日

 

 

オット君、骨シンチ8:30のため、早々に出発。

 

母、昨日は痛くなかった腰が今日は痛いという。

太ももが痛くない分、マシみたいだけれど、

へっぺり腰で苦しそうだ。

 

私は病院へ。

夕方、会社の健康管理室と同期の人事の人が来てくれる。

高野フルーツのいちご、びわ。お茶をごちそうになる。

 

人事は、いま履歴書読みで忙しいらしい。

自分を一言で表すとという問いでは、

柔、和、奇、変あたりが多く、またかと辟易することもあるらしい。

それなら、名前の一文字について、親がこんな思いを

こめてつけてくれたからという方が、そうだよねと思えると言っていた。

 

オット君の夕飯、おいしそうだった。

 

帰り、東城百合子の『自然療法』を読んだ・

 

 

酢も最近は即席が多く、

それなら梅酢の方がよいとあり、さっそく自然食品の店へ。

 

家に帰る。

「具だくさん味噌汁。うまそー。二時間もかかった」と母。

気を遣っていっぱい作っておいてくれたんだ。

腰を曲げて辛そうだった。

 

食べたら横になり、コンニャク。

むくみも足首がきつい。

弱音も吐かずよく耐えている。

薬がきいて、マーカーが下がり、腫れも引きますように。

 

明日、17時、いよいよオット君の診断と方針発表。

いままでどこか逃げてきたものから、

逃げられなくなるのかな。どうかよい話が聞けますように。

 

鈴木ヒロミツの訃報。

60歳。一月に肝細胞癌と分かってもう亡くなるなんて。

挽回のチャンスをくれないものだろうか。

どうかお願いします。