10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年3月13日(火)

 

 

母、ストマ外来、CT。

 

母が通うのは、オット君が入院している病院。

病院に着くと、オット君に人参ジュースを渡す。

一晩で早速引っ越し。二人部屋だそうな。

 

ロビーで会うと、オット君、なんか一晩で胸のあたりが

げっそり痩せた感じで、たまらない気分になる。

 

母はストマ外来。

昨日とても痛がっていたので、そのことを話す。

プラスαの治療はないのかと。

 

するとやはり抗がん剤のみ、という。

のれんに腕押しな気分。

杓子定規の治療でいいんだろうか。

 

白血球は5800。すごい。

抗がん剤はできるそう。

オット君もきて、3人で抗がん剤の時間を待つ。

なんだかなぁ。

 

昨日、母も痩せたと思ったけれど、

オット君も痩せた。

オット君はこの病院に初診できて、もう2週間になる。

 

母の主治医は、腫瘍マーカーの値を見せてくれない。

化学療法室の看護師と薬剤師に不満をぶちまける。

看護師は、腫瘍マーカーなら、先生に連絡はするが、

ここでも結果は出せるよといって、もってきてくれた。

 

ぎゃー大変。

痛い、むくみと言っていたが、この6週間で、マーカー数値が倍。

CEAは60代、CA-A-19は350くらい。

オット君は、CEA120代くらいだったっけ。

 

薬剤師は、薬が効くとマーカーは下がる。

悪いときはケタが違うと言ってくれ、少し安心。

でも、オキサリプラチンをはじめたときも、半減はしていない。

 

3人で帰宅。

母はひたすらだるいと。

オット君は図書館へ。

 

ご飯を食べ、風呂、ふたりでコンニャク湿布。

今日は母は薬が効いているのか、昨日よい痛くなく、

こんにゃく湿布も気持ちよくできている。

オット君も、マッサージ上手になったといっていた。

 

夜、日記を書きながら、ネットを見る。

と、また血の気が引く。

 

母は、「ツマ子がかわいそう。看病で」といっている。

そんな心配をして、悪くならないでね。

 

ふたりでリビングでコンニャク湿布。

コンニャクが熱いとかぬるいとか、温め直す。

こんな仲良く3人もいるのに、

なんで二人ともよりいよって大変な病気なの?

 

ああ、生きた心地がしない。

いつも朝、ああどうしよう神様という思いで目が覚める。

人生に挽回のチャンスをください。