2007年3月12日(月)いよいよ入院
いよいよ入院。
でも、家を出たところで、診察券をどこに入れたか忘れ、途方に暮れる。
結局思い出したが、オット君をまたがっくりさせる。
仕方ない。
病院につくと、義父母、きていた。
病棟はなんかずいぶん静かで、外来と雰囲気が違って焦る。
食堂も窓がない。
いきなり個室というのも焦る。
そんなに大変ということ?
部屋繰りの関係ときいて、まあ、納得。
採血、レントゲン、24h蓄尿
1日外泊。
14日骨シンチ
15日説明
今日は、母が通院のために家にくるので、早めに帰る。
そうだ、母が入院していたとき、
抗がん剤治療の説明をしていたM医師がいてびっくり。
オット君は「ボクが裸眼なのに見つけたよ。
あの雰囲気はすごい。見違えない」だって。
オット君はおいていかれる子犬のような目をしていた。がんばれ。
母は、会った瞬間「痩せた?」と思った。
母本人も、明日のCTは心配のよう。
・痛みがももまできている
・むくみが引かず、固い(明日先生に話そう)
・便がここ1週間毎日でている。緑からオレンジ。
緑は膿みとネットで読んだ。心配。
いとこから、母に電話。
でも、「誰ともしゃべりたくない。
いつも泣いているわけじゃないけれど、元気に電話にでると誤解される。
相手の期待通りの反応をすると自分が疲れる」と。
母はかなりがっくりきたようだ。
オット君のことで心配かけられないな。
コンニャク湿布をやってみるが、母にはキツイみたい。
同じ格好をしていられないという。
うーむ、敵は手強い。
母は、友人のFさんに「今月、遊びに行かない?」と言われたけれど、
本当のことは言えなかったよ、と言っていた。
こっちでもあっちでも胃が痛いわね、だって。ごめんね。
さぁ、早く寝なくちゃ。
明日は母の病院で、15日はちょっと怖い方針発表だし。
まあ、なんとかなるよ。大丈夫。
そうそう、オット君の病室。
病室のナンバーと、絵柄が、我が家にご縁のあるもので。
母は、自分のとき、熱が出て手術できないかもと、入れてたのが
熱は出ていたけれど手術できたのがうれしい記憶みたい。
六〇代ではまだまだ死にたくないといっていた。
お墓は散骨にする?と。
私が生き残ったとき、お参りできないのは嫌だと言った。
でもお寺からはお金の要求。