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10年前の今日この日に。闘病の記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前のふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します。

オット君:会社で、真実をどこまでの範囲の人に話そうか

2007年3月5日 ぬるい曇→雨

 

8時過ぎに自然に目覚めた。快調。

9時半から、局会。局員のみんなに身体のことを話す。

病名は言わなかったが、検査してだいぶ分かってきている。

 

・検査を続け、療養もせねばならない

・いくつかの臓器に問題がある

・早くて2〜3カ月、遅いと1〜2年、復帰までかかる

・皆さんも気をつけましょう

 

というようなことを語った。

 

みんな心配そうに聞いてくれた。

昼食はOさんに、3600円くらいのステーキをおごってもらった。

メチャウマかった。

 

Oさんに対して、相談ごとがあった。

それは真実を、会社のあと誰まで話すべきかということだった。

Hさん、Mさん、社長、監査役、同期…。

 

結局、伝えたい気持ちがあるなら、伝えるべきでは?という助言をいただき、

自分でも決心がついた。

 

午後、運よく、Hさん、監査役、社長と3人続けてお話しできた。

Hさんと監査役とはたっぷり話せた。

 

社長とは3分程度だったが、伝えたいことは伝えられた。

夕方になり、Oさんからようやく決定連絡がはいる。

 

その後、散髪の予約をいれた。

結局19:50ごろまで会社にいたが、体調は快調。

 

夕食を食べ終わるとさすがに眠気が出てきたのと、

右背中痛が少し目立った。

右背中痛は、毎日ほんの少しずつ強くなってきている気がする。

でも、まだロキソニンが欲しいレベルではない。

 

今1:00。

さすがにもう眠い。

ここまでの人すべて、「話して良かった」と思う。

明日は同期に話そうかな。

局員どうするかはゆっくり考えよう。

 

今日は久々にツマ子が「長生きしてくれ」と泣いた。

なにか心配になる情報に触れたのだろうか?

それから子どものこと、どうするのが良いのだろうか?

明日、K医師に聞いてみよう。