2007年3月9日(金)
背中の痛みがひどいらしく、
昨晩今日と、ロキソニンは控え、イヴを飲む。
気管支鏡の影響ならいいが、心配。
13時、病院から電話。
入院が12日11:00〜にきまった。
いよいよだ!
どんな状態で退院出来るか分からないけれど、
治すしかない。がんばれ!
そういえば、昨晩読んだ新潮のテレビ欄で、
名医紹介があり、肺がん治癒85%とかいう医師がのっていた。
そのレーザーはネットでみると、早期のみのようだが、
もう少しみれば症例がでてくるのかな。
調べていたら、ある病院の副腎転移の症例を見つける。
入院が決まった電話をオット君にしたら、
「急だ」と戸惑っていた。
今日が入院前の最終出社になってしまった。
よく締めくくっておいで。
また元気に出社できるようになりますように。
写真を撮っておこうと思ったけれど、やめた。
オット君は、Kちゃんのところで髪を切ってきた。
夜、オット君は22:00になっても連絡なし。
会社、いろいろ思うことがあるでしょう。
あんな会社大好きな人なら、なおのこと。
また戻れるよ、がんばろう。
そう思いながら、時折、あと1年生きられないのかもしれないと
不安がこみ上げる。
母のことでみていた大腸癌の人のブログ。
発覚して2年で、ブログを見る限り、あぶなそうだ。
母より、1年くらい進んでいる感じがする。
母はいまのままキープするのが課題だが、
ブログの人は、2年で車椅子、緩和病棟。
母と同じ下肢むくみだけだったのが、
いまは上肢、顔までむくんでいるそうだ。
母がそうなるのかもしれないと考えると恐ろしいが、
オット君もそうなることがあるのだろうか。
今も全く信じられない。
調べ物とかするけれど、仕事でやっているような錯覚がある。
錯覚ならいいのに。
オット君の病気を話した仕事先の人から、
「夫婦の距離が縮まりませんか?」とメールがあった。
キツイこというなぁ。
返事が出せなかったけれど、今日、ふと思ったのは
距離が縮まるというよりは、壁ができた気もする。
やっぱり死を突きつけられた人と、
生き残ってしまう人の間には壁があると思う。
私はオット君が不安をぶちまけてきたら、
受けとめられないと思う。
私自身の将来も心配で、オット君がいなくなるのが怖くてたまらなくなるから。
ネットでみた、寛解した症例のように
副腎転移なら、切除すれば予後がいい、みたいな例に
オット君も当てはまってほしい。
5年生存率が10%なら、その10人のうちの1人になればいいんだ。
母も!
24時前にオット君帰宅。
昼は体調がよくても、今頃の時間になるとどっと疲れと痛みが出るらしい。
今日は10時にクライアントNに挨拶。
どう話したの?と聞いたら、
普通に業務の用事があり、最後にさらっと検査入院で休む、
後の人のやりくりは来週上司が説明すると話したそう。
ひとりで行ったので、その後、有楽町そごうの地下の
小洞天でしゅうまいを食べたとか。
行列のできる店で、おいしくて、並んで食べたんだって。
会社では、部員が帰る前に挨拶に来てくれたそう。
最後はMさんが日比谷まで一緒に。
一人の方が気楽でいいのになとかいいながら、ありがたいね。
入社して丸16年。
本当にあっけない。
どうか戻って、新たなスタートが切れますように。
私は転職をして、会社を辞める気持ちを味わったけれど
こんなひけ方は、どんな思いだろう。
それより今は病気とたたかくことへの思いを強くしてるのかな。
そうそう。
クライアントにはさらっと挨拶をしたというところ、
「まさかがんとは向こうも思わないだろうから、あっさりね」と。
そうだよ、まさかだよ。頼むよ。