10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年3月7日(水) 検査の日

ツマ子:検査の日

 

 

9:00 チェックイン

9:30 気管支鏡

 

相当大変だったらしい。

リカバリ室に入ってから、私は呼ばれた。

水色の紙のような服とキャップをかぶっているオット君の姿は

すっかり病人で、ぎょっとした。

 

喉を麻酔しても、全然きかなかったみたい。

咳をすると血が混じる。

検査室で、 気管支鏡で呼ばれる患者は、内視鏡の1/10程度。

それにしても患者が多い。

 

オット君は、「いやー、おれとしたことがこれはキツかった」と

多少興奮気味に話す。

むせて大変だったらしい。

 

最初は点滴を入れられたが、これは針が太くて針を刺すときは痛いけれど、

入ってしまえばなんてことはない、と。

よかった。

そして気管支鏡をいれる。

 

腫瘍が見えないところにあるから、そこから先はレントゲンをとりながら。

自分で点滴を持ってレントゲンを撮り、先生はレントゲンを見ながら

細胞を「こうしますか?こういくか?」とか、ふたりで確認しながら

採取するんだって。

 

1時間も点滴にかかり、そのとき「ベッドにしますか?」と聞かれたけれど、

ソファにしてしまったという。

終わってから検査室をよく見たら、自分以外は全員ベッド。

先に周りをよく見て、ベッドにしてもらればよかったな、

早起きして眠いしと。

 

終わったら、ちゃんと血が止まっているかレントゲンを撮りに行く。

 

確認OKで終了、帰宅。

看護師が、検査が刺激になり、熱が39度くらいまであがることがあるけれど、

解熱剤を飲めばよく、咳に混じる喉の出血もだんだん収まると言われた。

 

ちょうど2時間経ち、12時なので、ランチに食堂へ。

ヘルシーセットにした。

 

昨日の夜、母がプジョーを契約したという。

ひとしきり、奇遇、ご縁のうれしい話を聞いた後、

オット君はオット君で、うれしいことがあったようだ。

監査役に40年前の同級生からがんについてのものが届き、

宗教がらみでもなく、「これはあなたにつなぎなさい」という

神様の言葉だろうと持ってきてくれたそうだ。

 

その後、私はスポーツクラブへ。

「行けるときに、行ってらっしゃい」と。

 

帰り、エレベーター前でオット君からのメール。

やっぱり熱が出たって。

病気の怖さの現実を突きつけられる。

顔を見ているとわからない。気のせいだったかと思ってしまう。

 

スポーツクラブでは誰とも口をききたくない。

目も合わせたくない。

走りながら涙が出てきた。

似たような人が、オット君に見えてしまう。

 

夜、びわ温灸をやると、また痛がった。

動くと痛くないというけれど、ああどうか転移していませんように。

長生きさせてください。