10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月21日土曜日

カメキチは病院から外出で帰ってきた。

 

車でそのままマルエツで、玄米を七分づきにして、図書館で本を返す。

 

花屋でバジルかシソを買ってきてと言われ、駅のほうにみにいったがなかった。そうしたら、親戚がやってきた。

 

その親戚は、病気を得てから占いの勉強をし、それがよく当たると評判になり、いまはカルチャーセンターで教えているそう。

 

占ってくれたら、カメキチはおじいちゃんが守ってくれているそう。おじいちゃんはカメキチの身代わりになって亡くなったという。3年前のことだ。

 

おじいちゃんが地方から出てくるとき、悪いものをみんな持ってきた。だからふるさとの家は安泰。そこにおばあちゃんが先祖を大切にせず、仏壇もほこりをかぶっている。そして子どもたちもそう。だからまだわからないのかと大きなのが孫にきた。絶家の相がある。だから男の子に来ている。そこに逆縁がありうんぬん。

 

救う道は、仏壇をきれいに、そし故郷の家の先祖供養、まったくなにもしてこなかったおばあちゃんのほうも、と。

 

絶家、おばあちゃんか〜〜〜。思い当たるといえば思い当たる。人のせいにすることじゃないけれど。

 

夜、中華料理屋へ。義母はすぐ故郷の地に行くことに。明日はおじいちゃんのお墓参りと仏壇を整えることに。ああ、カメキチ君をお守りください。

 

そうそう、今日は結婚記念日だった。12回目か。

早く病院に連れて行ってあげられなくてごめんね。そうしたら治せていたかもしれないのに。