10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月6日

昼、母はゲルマ温浴へ。今日のマッサージは長時間やってくれる新人さんだったみたい。でも「抗がん剤のボトルが終わった日はやっぱり体調がだめだ」と気分はよいけれど腰が痛いらしい。お店からの帰り道で、太ももに手をついて休む。痛そうだ。

 

母「お昼を食べよう」と言っていた。近所のお寿司屋にいってみると、ちょうどのれんをしまっていて終わりと言われた。

 

中華とも思ったけれど、今日の母は油は無理っぽい。うどんにすると言う。

 

戻ってカメキチに言うと、カメキチはうどんは嫌だと。

 

で、カメキチとふたりで中華に。上海焼きそばランチと担々麺。担々麺はおいしいけれど重い。上海焼きそばはあっさりしていておいしかった。次回は肉抜き、薄味でオーダーしようか。

 

あっという間に三時過ぎ。カメキチは病院に。

 

最初に説明してくれた看護師さんがバリカンで刈ってくれる。以前脳外科にいてお手の物らしい。買ってきた緑の「院内帽」がカメキチよく似合う。

 

そこへS先生。やはり悪性の転移だったとのこと。がっくり。

仕方ないけれど、がっくり。

 

ベッドに戻ると、カメキチは「そんなに力を落とすなよ」とわたしのひざをさする。ああ、神様。しばらくしてS先生がまた来る。急いで知らせようとしてくれていてありがたい。そしてH先生がまだ切るのを断念していない、月曜にさらに詳しい病理検査の結果がでるから、それをみて病院の見解を決めるという。

 

回診でH先生がまわってきて同じことを言われる。S先生に、もしかしてH先生は切りたがり屋?ときくと、「否定はしない」という。ここは結構カゲキで、自分はまだきて一年しか経たないので分からないけれどたいていは肺がんで副腎転移のある段階で手術NGになる、でもここは切ることがある、さらに他に転移があっても検討というのはそうとうカゲキで自分はみたことがないと。

 

いま、傷は小さくというのが主流のなか、珍しく、時代に逆行している。ただ、それだけ根治を目指しているともいえる。でもあばらを6,7本とったりすごいことをしそう。予後はまちまち。それだけあばらをとると、その後の身体のバランスはどうなんだろうと思うという。

 

カメキチは相当迷っている。わたしはでも切れるという人がいるならよく聞いて、切りたいと思う。

 

その後、免疫テストをして本当にどこのがんか測定する結果が火曜になると言われた。もしかすると「こうだから、あきらめよう」とH先生を説得する材料を探しているようにも聞こえる。

 

月曜予定の手術は見送りになった。聞くと、来週は予定が詰まっているし、実際は消化器の先生の手術になり、呼吸器は立ち合う形なので少し先になりそうとのこと。うーん、縁なのか絶望なのか。

 

買い物に行き、枕カバーを注文。アロエやノニジュースも買ってみる。

 

夜は病院差し入れ用に作った竹の子ご飯の残り。おいしかった。

 

母をマッサージ。母は「悪いけれど」と、やはりカメキチというより、わたしがひとりになることが心配でたまらないという。カメキチが火曜日までいるなら、退院したらこの家に病人が二人になってキツイだろうから、実家に帰ろうかという。自分がいることでわたしが楽になるのなら、誰も居ない実家に戻る理由もネコがいるわけでもないから構わないとのこと。

 

母がいるとありがたいけれど、もうひとりの病人をみることで、母の具合が悪くなるのもこまる。やはり辛い思いをさせているよね。ごめん。

 

義父母がもっとちゃんと見てくれればいいのにとも思ってしまう。調子のよいときしか見る機会がないから。

 

わたしは所詮他人、義父母にそういわれるカメキチもかわいそうだ。

 

民間療法いろいろやりたいなら、リビングニーズで出そうよと話すと「遺してあげたっていいよ」と。

 

カメキチマッサージ。右足の足裏マッサージは骨が痛いから軽くていいという。なぜ痛いんだ?

一番の痛みは肺。副腎の比ではない痛さみたい。切るにしても副腎が先だというのは不安になってきた。

 

転移5センチは腸間膜、腹膜の下という理解でいいみたい。聞いたことない場所だなぁ。そんな転移ルート、先生も珍しいと言っていた。なんだよ。人口肛門にしたいのか。お願いだから、どんでん返しで生還させてほしい。

 

火曜まで、カメキチは外泊扱いだから、カメキチは温泉に行こうかなと義母にメール。そうしたら、私も行きたいと義母。義父母とカメキチで行ってもいいのに。病院選び、治療法、今後も恨まれたら嫌だ。

 

ああ、治ろうね。なんで40歳でがんで、手術手遅れなんて、なんでカメキチがそんな思いしなくちゃならないんだ。