10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月9日

カメキチの親兄弟、親戚がきて、近所の料亭へ。

 

おかわりをするかどうかでもめたらしい。あのあたりにもたくさんビワの木があるとか。

 

母がその間、B病院のことをあんな風にいうなんて、くま子が一生懸命探してきたのに、と泣く。この人、とても泣いてばかりになった。とてもやせた。心配。

2007年4月8日

義母から電話で起きる。

 

「なんだ、いたの?」

温泉に行ったかと思ったらしい。ゴボウの煮物を作ったから来るという。

 

家でご飯。その前に人参ジュースを飲む。

 

B病院は義父が「汚い、古い」と驚き、「あんなところにいれたら、息子は余計病気になる。個室はないのか」と憤っていたらしい。

 

「じゃあ、行かなきゃ良かったですね」と言う。腹立たしい。

もしかするとカメキチを治してくれる病院かもしれないのに、悪いところばかりを言う。うんざりだ。

 

さらに、親族が5人やってくる。

「顔を見るだけ」とドヤドヤ。

玄関の靴がぬぎっぱなしで頭にくる。

 

カメキチが病気にならなかったら、こんなことにならなかったのに。

 

その後、カメキチは義母とスーパーへ。久々のドライブが楽しかったらしい。動いているほうが楽だという。そういえば手術はなしだなと話していた。わたしは夢を見ているのか、期待するだけバカなのか、現実をみていないのだろうか。でも抗がん剤で長生きは無理。

 

夜、びわ温灸をしていると、とても痛がっている。副腎より肺が刺すような痛みがあるようだ。見ていて辛いけれど、ウンザリした気持ちが消えない。昼間、いい時間いいときに、その場しのぎに楽しさを奪われた気がする。どの治療法をとるか、次のことを考えないとまずいんでないの?

 

風呂に入ったら、いろいろ嫌味を言われたことを思い出して母に愚痴る。やっぱり義父母がきてくれたほうが楽だと思った瞬間もあったが、痛いのを見るのはわたしで、あの人たちではないと思ったらストレス。こちらにはもうひとり病人がいるんだ。ああ嫌だ。

 

カメキチはマッサージのときも肺を痛がる。肺切れないか。ああ、抗がん剤か。胸膜転移は大丈夫なのか。もしお腹が切れるなら肺はいつ切れるのか。一年生存率とか、嫌な数字が現実味を帯びてくる。どうか長く時間がほしい。

 

 

 

 

 

2007年4月21日土曜日

カメキチは病院から外出で帰ってきた。

 

車でそのままマルエツで、玄米を七分づきにして、図書館で本を返す。

 

花屋でバジルかシソを買ってきてと言われ、駅のほうにみにいったがなかった。そうしたら、親戚がやってきた。

 

その親戚は、病気を得てから占いの勉強をし、それがよく当たると評判になり、いまはカルチャーセンターで教えているそう。

 

占ってくれたら、カメキチはおじいちゃんが守ってくれているそう。おじいちゃんはカメキチの身代わりになって亡くなったという。3年前のことだ。

 

おじいちゃんが地方から出てくるとき、悪いものをみんな持ってきた。だからふるさとの家は安泰。そこにおばあちゃんが先祖を大切にせず、仏壇もほこりをかぶっている。そして子どもたちもそう。だからまだわからないのかと大きなのが孫にきた。絶家の相がある。だから男の子に来ている。そこに逆縁がありうんぬん。

 

救う道は、仏壇をきれいに、そし故郷の家の先祖供養、まったくなにもしてこなかったおばあちゃんのほうも、と。

 

絶家、おばあちゃんか〜〜〜。思い当たるといえば思い当たる。人のせいにすることじゃないけれど。

 

夜、中華料理屋へ。義母はすぐ故郷の地に行くことに。明日はおじいちゃんのお墓参りと仏壇を整えることに。ああ、カメキチ君をお守りください。

 

そうそう、今日は結婚記念日だった。12回目か。

早く病院に連れて行ってあげられなくてごめんね。そうしたら治せていたかもしれないのに。

 

 

2007年4月20日金曜日

ネットで人気サイトの医師相談を考える。意見をきいてみたい。

 

文面を考え、海苔巻きをつくる準備をしていたら、ガチャガチャと鍵の音がしてビックリ。カメキチが義母と外出から帰ってきた。

 

病室でコーヒーを飲んで、向かいのおじさんと話をしていたら、毎年ヨーロッパに夫婦で旅行に行っているそうで、ヨーロッパ本がみたいと物置をガサゴソ探し始める。

 

わたしはついアルバムに見入る。

 

でも、ガチャガチャという鍵の音。すごくうれしかったなぁ。ひとりしかいないと、聞こえない音。

 

今日は1/3量のタキソール。ステロイドを打って調子がよいようだ。顔色も家にいるうちによくなってきた。実家にいたネコを思い出す。病気になってから、ステロイド注射を打つと元気になっていたっけ。

 

ベランダのハーブに水やり。タラゴンを盛んに心配する。くず餅、リンゴを食べ、あっという間に病院に戻る時間。

 

「外の新緑がすごいなあ。すごい変わった!」

 

ハーブに水をやるとき、家に飾ってあるわたしの人形たちにも挨拶してくれる。この人を失いたくない。どうしたらいいの。

 

勤務先の局長からメール。霊媒師の先生に新しいパジャマを送るようにとのこと。祈祷してくれるらしい。

 

夜、病院のS先生に給湯室で会う。「貧血が進んでいるので心配だ、とても疲れると思う。外出させるのは心配なのだけれど…。輸血は昔のように副作用を怖れることはないので」と言われる。

 

便潜血については、上下からカメラで見る。何か見つかっても何もしない。

 

「なら、悪いことはもう知りたくない」とわたしが言うと、「肺がんは厳しい病気だから」と言われる。「がんばりましょう」と。

 

カメキチ、なんでこんなことになったの? もう霊媒師でも希望を託したいと思ってしまう。

 

昼、仕事仲間に電話。都内に席をおいているから、いつでも怖くなったら電話してと言ってくれる。気が治まるかもしれないでしょ、と。ありがたい。この人だから話したいこともある。お子さんはふたり、保育園だって。うらやましい。

 

 

 

 

2007年4月15日

1日経つのは、あっという間。

調べ物をしている間に、すごい早さで時間が経つ。

 

今日は親戚がお見舞いにきてくれたそうだ。

カメキチは食欲不振。右の脇の下が少し刺すような痛みが新しく出たって。リンパ節転移かと言っている。どうなっているの。

2007年4月14日

午前、わたしは検診へ。

バリウムを飲んだら、下腹が痛む。

 

今日はポカポカよい天気。B病院は裏が公園になっていて、カメキチは、2回散歩したらしい。

 

抗がん剤2日目の今日は、カメキチはご飯も食べられる。熱も普通。

 

夜、くすりについて調べる。

 

2007年4月7日 外泊

外泊

ランチ中華。上海焼きそばいける。

 

自然食品の店にカメキチと向かう。温泉にいきたいなら、義父母と行けばいいと言うと、くま子がいないとつまらないと言う。

 

だけどわたしには母とカメキチを連れて行く自信はない。母は処置グッズを忘れてきたから旅行は無理だというと、そんなのわかっていたことだグズグズしてはっきり返事をすぐしないのが気にくわないとカメキチは怒り、そのままケンカ別れ。

 

わたしは近所の神社で風呂用のひのき、クロゼット用のひのきを見つけて買う。カメキチが来るかと思ったが、来ず。カメキチは自然食品屋にいったが、くま子がみあたらないし、右足裏が痛くなったので家に帰り、自転車で図書館に行ったそう。足裏は昨日のマッサージでも痛いといっていた。なんだろう。

 

夜は鮭おしんこ酢飯ご飯。おいしかった。母がたまにセキをする。肺転移かとあせる。