10年前の今日この日に。肺がんステージ4のオットのとAYA世代ツマの看病記録

2007年3月。ずっと続くと思っていた当たり前の毎日が一変しました。40歳になったばかりの夫に、まさかのがんの診断。あの日、何があったんだろう、何を感じていたんだろう。10年前の夫婦ふたりそれぞれの日記・記録を、2017年の同じ日付の日に。「あのとき」を改めて読み返します・・・・・・とやってみたのですが、1カ月分の転記で挫折。さらに時を経て、13回忌を迎えた今年、日記を転記していきます。とりあえずツマ分から。当時のAYA世代の患者家族の記録ということでアップしていきます。

2007年4月1日

近所の四川料理でランチ。

担々麺と酸辣湯麺

担々麺はのびていて、酸辣湯麺は味が少し濃い。

「イマイチだったね」とオット君。

公園に散歩に行き、ウチに戻る。

 

オット君は、人参ジュース、呼吸法、お祈りをしたくらいで

「もう疲れた」と倒れ込んだ。

「体力なくなったなぁ」と。

痛いみたいだし、なんか切ない。

 

19:30、義母が迎えに来て病院へ。

びわ温灸は、肺の腫瘍のあたりが気持ち良いようだ。

 

ご飯の時、オット君はもし手術できなくても

抗がん剤でいいじゃないか」と言っていた。

神様、どうかお力をお貸しください。

 

夜、テレビでは、鉄腕ダッシュTOKIOがガラス工芸をしている。

つい半年前のガラス工芸体験を思い出し、

懐かしいとオット君にメールをしたら、「重そうだね」と。

あのとき…9月も病んでいたんだよね。

12月にオット君が「痛い」といったとき、気付くべきだったと言ったら、

以前の「頸椎症と全く同じで、無理。分からなかった」と。

 

「ここまで大きな腫瘍を観たことがないと医者は言うし。

 がまんしちゃったね」と言うと、

「そうかなぁ」。

 

秋口から、ピップエレキバンを貼ったり、

その頃、「体重が…」とか言っていた。

半年くらい堪えちゃったのかな。

1月になって「あと1カ月様子をみよう」って。

それが余計な命取りだったなんて結果になったら、かわいそすぎる。

なんでがんなの? まだ40歳じゃない。

 

23時頃、オット君からメール。

脈が2月より落ち着いていると。

効いてきたのかな。

 

どうかオット君を守ってください。

 

 

 

2007年3月31日

朝、お母ちゃんが迎えにきてくれ、病院Ⅱへ。

 

S先生が腹部エコーをする。

右へそ脇とか右脇腹のあたり。

これだ、と測ると5センチ。

もう一つ、腎臓の入り口に2センチのが。

 

いったいどうなっているの?

青ざめる。

 

ただ、S先生は、腹部はいまいち確定できず、

消化器の先生に改めて見てもらおうと処置室へ。

 

私は部屋に戻らされた。

ネフターゼ?じゃないか、違うかなとか。

いまいち判定がつかないよう。

 

細胞診をやらないと正確にはわからないが、

腹部は腸に穴をあけるリスクがあり、危険とのこと。

PETで集積を見ることに。

 

もう胸が重い。

毎日生きた心地がしない。

 

オット君とタクシーで家に帰る。

近所の神社へ散歩。

オット君はだいぶ疲れたようだ。

 

なんかやる?といってもすることもなく、

高校野球観戦→餃子づくり。

 

一日一日、動ける時間は大切に過ごそうといっても難しい。

結局、ただ一緒にいられることが一番幸せなのかもしれない。

 

餃子、皮を伸ばすのをオット君がやる。

いつもの作業なのに、終わるとだいぶ疲れたみたいで、

38.1℃。ショックだ。

どうぞ、オット君をお守りください。

 

お風呂、脱毛の毛が凄くて、湯船の排水溝が詰まり気味。

これにも気落ちする。

 

どうぞ手術ができて、元気なオット君にしてあげてください。

どうかチャンスをください。

本当に1年生存率50%で終わってしまうの?

まだ40歳なのよ。

どうしたらいいんだろう。

 

水曜は、オット君はPET。母はCT。

検査が重なる。

母のCTも結果が怖い。

 

今日は、母は、リタイアした元役員の

元気なオジサマたちと食事会。

 

2007年3月30日(金)外泊

オット君が外泊で家に戻ってからベッドを動かし、

そこに義理家族到着。

食事にでかける。

 

楽しく帰ってきたところに、母から電話。

抗がん剤の副作用でまた下痢がはじまってきたと。

ああ、現実。嫌だな。

 

病院Ⅱからの留守電に気付き、

慌てて電話すると、S先生。

今日のCTに右副腎と腸間膜にも転移の可能性があり、

明日エコーでお腹を診察し、方針を決めるとのこと。

 

ああ、どうして!

どうぞ左副腎のみでとどまっていて。

どうか生きるチャンスをください。

 

2007年3月29日

自転車、後輪がパンク。

タケノコの山椒の葉炒めをもって、病院に。

 

夜の回診は、H先生のみ。

先生に「薬を飲まないと38.5℃まであがります」と振ると、

「4/9手術予定」との返事。

突然のことにびっくり。しかも1カ月切っているし。

 

先生は、「抗がん剤から1カ月だしね」と。

ええ?? 3週間プラスαだよ。

 

先生も慌てるが、4/9でOK。

肺ですか?副腎ですか?両方ですか?ときくと、

「熱は副腎のせいだから、副腎が先。

あなたも思うでしょ、ぼくもそう思う」って。

おもしろすぎる。

どうぞよろしくお願いします。

 

今日はエコー。

明日はCT。

 

自宅のリビング用の寝具を用意しようと、夜、下見に行く。

すのこベッドか、ムアツか、テンピュールと想定。

10万円以上いきそう。

母にメールをすると、「早まるな、なんとかかんとか」と七五調で

わけのわからないメール。

心配しすぎか、最近、母がおかしい。

 

2007年3月28日

今日は、入院していた病院で文書が係に診断書の依頼をだしにいった。

文書料は細かく決まっていて、

生命保険用は1万円超え。びっくり。

退院後より、入院中に書いてもらった方が、

安く済んだのかなぁ?

 

セカンドオピニオンの返事を渡しに病棟にあがっていくと、

先日、セカンドオピニオンや転院について相談にのってくれた看護師さんがいた。

「病院Ⅱはどうでした?本人はどうですか?」と。

病院Ⅱは、手術が結構アグレッシブと聞いているとのこと。

この病院や病院Ⅲでは、アグレッシブなことはやらないと言っていた。

すごい心配顔で、「奥様をたよりにされていると思います」と。

心配してくれて本当にありがたい。

また戻ったらよろしくお願いしますと挨拶をした。

 

転院先の病院Ⅱにつくと、オット君はダンベルを手に散歩。

お母ちゃんにちょうど外で会う。本屋に行くと言っていた。

 

オット君は、朝、今日はとても気分がいい、

病院が古いのも、大部屋にも慣れた、とメールがきた。

朝とても気持ちがよくて、いい気が流れている気がするって。

よかった。きっと大丈夫。

 

回診で、H先生に見てもらった。

S先生は、「明日、CTを見てからだけれど、

副腎が抗がん剤で小さくなっていたら、

効いているということでこのまま抗がん剤を続けるもあり。

ま、お楽しみに〜」みたい感じ。

あくまでネガティブではなく、チャーミングなのがいい。

 

そうそう、ロビーでコーヒを飲んでいるとき、

オット君がH先生の声をキャッチ。

H先生と話す。

 

抗がん剤をやってきたから、手術は1カ月はあけた方がいいね」って。

どうぞうまくいきますように。

 

2007年3月27日

11:00には泥武士。

13:00には、転院組と、もう一カ所病院Ⅲへセカンドオピニオンに分かれて行動。

 

泥武士のランチはおいしくてよかった。

オット君と義父は、鯛飯と野菜の蒸し物。

私はいつもの野菜ランチ。

お母ちゃんはマグロとろろ。

 

病院Ⅲは、遠かった。

とてもきれいで広く、ガーデンもある。快適そう。

通うのは大変そうだが、別世界。

 

渡された携帯に、「中に入れ」とか、表示される。便利。

N先生は、肺だけならリンパ節が腫れていても

あばら骨2〜3本ごとエイヤーッととるけれど、副腎があるから、それもなし。

副腎にある段階で、血液を介して全身にまわっているとみる。

 

かつてはこの病院でも切除していたけれど、

結果が「全く」でなかったからやらないと言う。

 

骨転移を防ぐのは抗がん剤しかない。

骨転移したら、進行を遅らせる薬はあるし、

それは今の入院先の主治医O先生がよく知っていると。

 

それより、脳転移が心配。

でも、そんな先のことは心配するなと。

もう心置きなく、病院Ⅱだ。

 

でも、病院Ⅱでは、サブのS先生がいきなり、

「うちでは副腎転移は切除がいいというデータがあるようだが、

私は見たことがない」って。

どういうこっちゃ。

なんと説明されたんですか?って。

 

うーむ、でもよく考えた。

・手術できる可能性がステージⅣなのに、ある。

・しかも副腎にしっかりとどまっている(らしい)。

・しかも左。

 

病院ⅡのH先生が大丈夫という通りの状況が揃っている。

これをよしとせず、どうするのか。

 

オット君は手術は大変だよ、と迷っている。

何より8人部屋にショックを受けていたけれど、

私は母のときの田舎の病院をみたから、こんなものかって感じ。

 

ネット検索をすると、やはり気が重い。

切らない人は半年程度で亡くなっているという事実がある。

やはり可能性がある限り、切る方が期待が持てると思う。

 

病院Ⅲでは、「ふつう、副腎はこんなに腫れる前に気付くけれど…」とか

病院Ⅱでも、「ここまで大きいのはめったにお目にかかれない」と言っていた。

おい、オット君、一体何をやっていたんだよ。

 

 

 

 

2007年3月26日

成田へ。

 

お不動様ご本尊にいったら、ご祈祷まで二時間待ち。

よく分からない。

 

ご祈祷ははじめてだけれど、驚いた。

火をくべ、お経の大合唱。

太鼓、荘厳で、お不動様の苦しみ、エネルギーが伝わるようだった。

 

目をつぶっていて気付かなかったが、

カバンを渡して火にかざしてもらっている人たちがいた。

 

病院にお札を持って行くと、オット君喜んでいた。

上手な字を書くねえって。

そのまま診察券に結んでいた。

 

成田でも机下に、あまりおおっぴらに置くと、びっくりされますよ

と言われたが、本人は気にしていないようだ。

 

病院Ⅱに電話をすると、「呼吸器外科の方?」と。

ちょうど病室のやりくりがついたところで電話をしようとしたところだったらしい。

なんと10数人、2週間待ちと言われていたのに!

お不動様のお導きに違いない。

ありがとうございます。

 

急にオット君は今の病院が名残惜しくなったみたい。

でもまた病院Ⅱが嫌なら、すぐ戻ればいい。

今の病院からもOKがでて、明日転院に決まった。

 

気功がんばる。

オット君、嫌がらずにやってくれる。効きますように。